E 『玄元皇帝廟』 |
唐代・唐朝の皇宗は元々「道教」であった。 それは唐朝が「李」姓であり、道教開祖と崇められた「老子」が「李」姓と同姓であったため、唐朝は老子を先 祖と奉ったのである。 そして「寶」の印文「太上老君」とは「老子」の尊称であるが、開元から天寶年間の頃、さらに「老子」の尊称を 格上げし「玄元皇帝」の尊号を献呈した。 唐代には長安・洛陽という二大都市があった。 この「玄宗皇帝」・「老子」は、唐朝の唐祖であるから当然、祖先として宗廟に奉つられた。 この老子を奉る「玄元皇帝廟」が“天寶元年”洛陽に創建されという。 唐朝の祖先であり、道教開祖の“聖人”を奉る壮大な伽藍である。 いづれ登場する詩聖・杜甫の詠んだ歌によれば、この建物は豪壮華麗かつ天を突く、伽藍であったと言う。 “天寶”元年742年創建なった、この「玄元皇帝廟」が同年「玄元皇帝宮」と改められ、翌743年「太微宮」と 格上げ名称された。 名称の“太微”とは、天文では“獅子座”を指すと言う。 『太微宮』の異名は“太極殿”である。 “年号は「開元」改め「天寶」である” 天の寶を年号の冠に戴く、豪壮華麗な神殿は獅子の異名を秘めた「太微宮」である。 我々の目指すのは、天を突く「太微宮」、その神殿の奥の院、その正殿に鎮座する中国5000年の至宝、神噐 ・太極「寶」である。 まさに「大和」は、波頭を越え、1300の時空を溯り、漢大宇宙を旅するするのである。 今日まで世界中の歴史・冒険家が、だれ一人踏み込んだ事の無い、未知の世界である。 次にこの、漢文化の神秘を旅する母船▼F「大和」概要と▼G「運行マニアル」をお知らせし、旅の安全確認を 致す事にします。 平成12年4月23日 |