第9章・「載」

 第9章は、長い航海を終え[寶]の最終的結論を示す章です。

 したがって「一」爻と致しました。

 第1章の終わりで述べましたが、序章は“混沌”の「0」です。

その頭上には北斗七星☆を配当した筈です。そして第1章には21項を配当し陰陽の数を

配当しました。そして陰極の6章には陽極の9項を、8章は64卦と成るべく8爻配当した

筈です。

この永遠の[寶]、漢大宇宙を見る時、私の導き出した結論は、たんなる私の[寶]の終わり

であって、これら多くの諸先生方の手により“真”の「大漢宇宙」が今後展開される筈です。

即ち、私が示した本書[寶]は、中国黄金文化の真の究明であり、本書第1章「載」で掲げた

“無限の知”の入り口、中国五千年の歴史の見直しであり、正に“登龍の門”です。

「登龍門」とは黄河の上流にある急流で、「鯉」がこれを登れば“龍”と化するという言い伝え

からの言葉ですが、この「鯉」は『大漢和』によると「書状」又は「手紙」の事とあります。

本書の五年に及ぶ私の激闘は、偉大な司馬承禎がこの“登龍の門”を開き[寶]の“書状”に玄

宗の「勅令」の書を同封し“白澤アポロ”に託したからです。

即ち、神々の裁可を仰だのち、「神噐」解明の“許可書”「勅令」の“書状”を私に届けたのです。

その書状は約1300年の時空を旅した為、不明な点も多く、又能書家、承禎の書状は三体の筆法

で書かれてあった為、かなり判読出来なかった所も随所にあります。しかし、書状の大本だけは間違

いなく解読した筈です。

そしてこれが“一炊の夢”で無い事だけは間違いなく請け負います。

最終この第9章を1項に止める。さすれば本書全爻は天地一体の64爻となる。

漢大宇宙「太極」を発明した偉大な司馬承禎の前に平伏し、これ以上の解明を断念したのですが、

この爻と、最終チェックをする間、なお幾つかの事柄を終りにあたり、今少し

触れながら航海の終り、[寶]の結論へ向う所存です。

 天印・三行体・中央五文字に符号する言葉に、『大漢和』は「三辰五星」「三辰五行」を載せて

おります。又同様に「三陽五曾」、人体手足にある太陽・小陽・陽明と五曾が見えます。天印中央

「老」の文字の画数は「六画」が卦爻し漢字「一文字」に易化しました。

これが「六画」+「一文字」と重層・交合し、“北斗七星“となって輝いております。

『大漢和』に「三一」が見え、精・神・気が混じて“虚無の道”とあります。

「三行体」中央「老」の位置は絶対「一文字」で、「三一」に配当された聖地で、正に「虚無の道」

に通ずる所であります。

「老」の文字は「虚」と「無」が“表裏一体”の究極で相対する微なる“ゆらぎ”の“極”無宇宙に

通ずる「道」のところです。

宇宙の“全エネルギー”が“一極”に集まる、正に“光の核”“太極”の所です。

印文は有・虚・無、1体のビックバン宇宙に集まるので我々には、これ以上は見えませんが、そこは正

に中央・中天「老」が星座する、“道”の無宇宙への“登龍門”が偉容を放っております

その“玄”の深遠に、天地創造主が永遠に星座しているのです。

「君子(天子)南面」であり、印「太極」部分“無限”から観た星空が漢大宇宙と言うのでしょうか。

“表裏一体”の「三一」が“虚無の門“であり、”龍“舞い”獅子アポロ“錯護する『登龍門』なのか、

そして向こうが”相対“に広がる”真“の大宇宙なのであろうか。

すべては遥かな時空、虚無の彼方です。

私はこの航海の中で、本書で著した以外、ついに記すこと無く胸中に永遠に“蔵而不言”の神秘として公

開しなかった印文の深淵を知覚している。

それは解説を越えた神秘の大宇宙です。

本書で印した神秘の数々は偉大な九文字の印文に秘めた神知の、一里塚にも達しない、まさに登龍の門前です。

玄聖と呼ばれた「老子」の教えを天に戴き“無”を『寶』の“道”に具現化した偉大な哲学書・司馬承禎によ

り接近すればする程、そこにはより果てしない無宇宙がさらに無限に開かれ、無の広大無辺な有様を呈し、ただ

ただその登龍の門前で、呆然と立ち尽くすのみです。

この後、最終結論を呈する前に、この神噐は、私は無論、一歴史家で論じられる領域を遥かに越えた、「漢大

宇宙」「方円の噐」「太極」「完璧」の「寶」です。

正に神噐[寶]は以後、中国史の大本を著す時、絶えず念頭に置かねばならぬ、避けては通れぬ“登龍門”なのです。