8章5・「寶」によせて

 

本署最終局面にざしかかった1998年10月、本書仮仕上げの「寶」本と実際の「寶」の所見を仰がんと、

東奔西走したところ、多くの諸先生方よりご厚情溢れるお便り、お電話を戴き本書への、深いご理解を

賜りました。

また1999年9月5日最終仮本完成により、中国研究者は勿論、各界各層の方々に最終仮本と私の

志しを認めた訴状を送付いたしました。

日中友好と漠文化圏の希望の星「寶」のため、いよいよ行動を開始した、平成承禎の、これまでの

経過、そしてお力添えを賜った方々のご厚情お言葉を大宗師「司馬承禎」に謹んで報告するものです。

☆まず初めに本書4章5で、既に紹介いたしました王敏先生から、驚きの声をもって迎えて戴きまし

た。

王先生は本書の大本に関し一切の異議も唱えられず“大変な事です”と声を上げられ“あとは陶磁器

の鑑定を残すのみで、そうすれば道は自然に開かれるでしょう“とのお手紙です。

王先生は現在、中国松花江大学および日本・東京成徳大学教員・日本ペンクラブ国際委員で「中国翻訳

賞」「山崎賞」「岩手日報文学賞」を各受賞なされ『中国人の超歴史発想』の著書は本書と歴史に多大な

役割を果たしたことは第4章5で既に紹介した通りで
す。

多大な学恩と深いご理解を賜り、この場を借り厚く御礼申し上げます。

☆また世界陶磁全集で重責を担われた出光美術館館長・長谷部楽爾様に仮本をお送り致しましたところ、お

忙しい時間を割き、じかに「寶」を拝見戴きました。

館長は“この嵌入の紋様を観ると、陶磁器に間違いはない”“また唐白磁、宋白磁いずれも微妙に

両時代の特徴は観られないでもないが、決め手になる程、いずれの時代を示す顕著な特徴を呈し

てはおらず、今後の研究を待たねばならない”との内容でありました。

長谷部館長は本書「寶」の第2章3「唐白磁の謎に観る」を私が書き上げた、殆どの重要な基礎

資料を『世界陶磁全集』の中で執筆担当なされておられます。

館長の唐代陶磁史の深い資料と、そして「唐白磁」の洞察と問題提起などがなければ本書の原点

とも言うべき第2章3の推論と展開は到底有り得ませんでした。この場を借り改めて館長のご研究

に深甚の敬意を表するものです。

館長の「寶」を観る目は、虚心かつ自然体、陶磁器にたいする深い愛情を秘めたお方でありました。

同日、同じく、唐代陶磁器の分野に関し長谷部館長を深くご信頼されておられます『世界陶磁全集』

の総責任者、国立博物館・前陶磁室長、矢部様も公務多忙にも関わらず貴重なお時間を割き、拝見戴

きました。

いずれ中国関係者との意見の交換も生じて来る筈です。

長谷部館長・矢部様お二人に今後の研究をお約束戴き、近い将来、陶磁器の歴史的観点も合わせ学問

的その見解を心待ちにするものです。

☆また約5年前「陶印」についての問い合わせ以来、本書「寶」に深いご理解と多大なご尽力を賜っ

ております京都藤井「有鄰館」の藤井館長ご夫妻にも、この場にて改めて感謝の意を捧げるものです。

中国美術工芸の収蔵で世界的に有名な京都「有鄰館」の由来は論語の“徳は孤ならず必ず鄰あり”か

らとったとの説明で収蔵の展示される美術品に説明書が添えられていない。

これは“先入観なしに心で鑑る”ことを奨励する為との館長の観賞哲学によるものです。

創業の理念を継承され東洋美術に対する深い理解と幅広い知識、そして“心で鑑(観)る、豪放か

つ繊細、底知れぬ博識とそのお人柄に深い尊敬の念をはらわずにはおれません。

「寶」を初めて拝見戴いたところ“時代を特定するには今はまだ想像の域であるが、宋代まで溯る事

は間違い無いであろう。

とにかく神獣・獅子の造形の神秘的偉容を観てもその制作は計り知れないものがある”と言われ、

とにかく“素晴らしい”を連発され“絶賛”戴きました。

仮本第1回目の初期段階より、若輩の身に一方ならぬ、ご厚情と力強いご支持を賜り、厚く厚く

御礼申し上げます。

まさに世に人あり“心で鑑(観)る”お方です。

☆また秋田大学・石川三佐男先生にお電話を入れ簡単な「寶」の説明をした所、“それならばその印

の文字は九文字の筈であろう” と即断され私が「印文中央が6画で、印文の発明者は司馬承禎です」

と述べると“ホー面白い”“十分ありうる”“是非読ませて戴きます。”との即答です。その

感応の早さに感嘆し、短い電話の中に想像できない質量、研学の深さが窺われました。石川先生は現

在約1500頁に及ぶ、私からは想像できない大著の最終段階とのことです。寸刻を惜しむ中、再三の手紙、

電話にもかかわらず、快く応対戴き、かつ素人の私に、心暖かいご教導を賜り、この場を借り厚く御

礼申し上げます。

☆本書最終段階に、長崎商科短期大学・元非常勤講師竹野忠男先生は、余りにヒドイ私の仮本を見て、病床

の身にもかかわらず、半年をかけ添削し、そしてシーサーに関する研究資料を送って戴きました。竹

野先生は重い闘病生活でしかも角膜負傷とのことです。

すぐれぬ体調の晴れ間に気力をふり絞り私のために、お力添え戴きました。使用のペンの違いと

筆力のあまりの差異から病状の重さが読観とれ、返す言葉もありません。“大変な発見と思われ

ます、大本において一切疑う点はありません”とのお電話です。先生の学恩とご恩顧に深く深く

感謝もうしあげます。

☆また吉野裕子先生にご紹介戴き、石川先生とも、学会にて意見の交流なさっておられます日本大学、

井上聡先生からも、忙しい研究の合間を縫って“「寶」は日中にとって非常に重要な研究と考えます”

とのお手紙を戴きました。「寶」への高い評価と深いご理解を賜りこの場をかり厚く御礼申し上

げます。

 また98年9月3日、日本道教学会会長の、桜美林大学名誉教授、野口繊朗先生から素人の私に対し

各段の敬意をはらうお手紙を賜り、お返しの言葉も見当たりません。現在取り組んでおられます研究

の区切りがつき次第、改めて詳しく検証するとのお約束を戴きました。

☆岐阜県古川町の「狛犬博物館」上杉千郷館長からも、長距離のお電話を戴きました。

上杉館長は現在、「長崎くんち」の“竜踊”で有名な諏訪大社の宮司をなされておられます。

大祭の準備でお忙しい中、わざわざ長距離のお電話を戴きました。

上杉館長は狛犬が中国唐代に日本へ伝えられたと喝破なされ岐阜新聞などで、研究発表をなされてお

られます。

お電話で“この様な視点からの獅子および狛犬の研究発表は恐らく日本で初めてと思われます”と

の驚きのお電話で、本書への各段の評価を賜り今後のご理解を賜りました。館長の永年のご研究に深

く敬意を表するものです。

本書最終局面にさしかかる10月、序章「調査報告書」でご協力戴いた岩手博物館学芸員・大矢様、

茨城篆刻美術館学芸員・松村様からも深いご理解を賜り厚く御礼申し上げます。

本書「寶」の「登龍門」を開き“太極の光”を最初に指し示して戴いた吉野博士は今年3月人文

書院より『陰陽五行と日本の天皇』を出版なされました。

その著書の最終・第九章「女帝について」の項は、博士が浅学な私の為に「無」と「有」また「寶」に

ついて特別に書き下された章です。

著書はその最終項を本書に戴く『大漢和』の「寶」で締め括られました。

吉野博士は、印文解読戴いた黒川先生とも「寶」に対しての意見交換なされ本書「寶」の大本に関し深

いご理解を賜っております。

博士は「易」および「陰陽五行思想」から日本民族の神事を照射なされ日本民俗学の‘‘新天地”を

開かれたお方です。

博士は学習院・津田塾大学を卒業後『陰陽五行思想からみた日本の祭り』で東京教育大学から文学博士

の学位を授与され現在、学習院女子短期大学非常勤講師・「山岳修験学会」「日本生活文化史学会」の各理事を

兼務なさっておられます日本の第一人者のお
一人であらせられます。

寸刻惜しむお時間を割き、深いご厚情を賜りました。

この項末尾に、その第九章原文の一部を掲げ、本書「寶」の記念と致し、その学恩、御恩顧に対し、

深甚の意を表するものです。

また本書「寶」の印文を解読戴き、本書“登龍の門”を開いて戴いた黒川総三先生も本書の大

本に“一点の疑いもない”とのお言葉を賜っております。

黒川先生は現在83才で、野におられるとは言え、万葉研究に生涯を捧げられたお方です。

常々、机の上では万葉人の心は観えないと、歌の現地に何度も何度も足を運ばれるお方です。

中国語は堪能かつ流暢、歌人であり、易、道教、漢字などの中国研究においても、吉野博士同様、遥

かな道を歩まれておられます。

黒川先生との出会いなくして、本書「寶」の道はありえませんでした。改めて、深甚の意を表せずにはおれません。

以上本書最終段階を迎えた平成十年秋、ご厚情を戴いております、各位に今後のお力添えと、益々

のご理解を賜らんことを衷心より祈念し、アポロの第一歩を印した報告書にかえさせて戴きます。

 

平成10年12月23日現在

 

 

『陰陽五行と日本の天皇』(文献159)

陰陽思想によれば「陰」と「陽」はその本質を全く異にし、相対する二元である

●「陽」 天・剛・動・有・男

●「陰  地・柔・静・無・女

の如くである。

「無」には、すべての相対を超越し、それらとは次元を異にする

「無」もあるが、この対照表に挙げられている「有と無」の相対

における「無」は、それと異なる。即ち、ここでは「天は有」

「地は無」とされ、その意味は「天」からの日照降雨によって「地」ははじ

めて万物を生成化青が可能である。「地」は本来、「無」であって、「天」によ

る施与によって、はしめて万物を生みだすことが出来る。という意味での「無」

である。

これを人間に当てはめれば、男が与え、女がこれを受けて、ここにはじめて

万物を生み出すことが出来る。

要するに「陰」としての「女」は「無徳」なのです。(220貢)

「璽」とは天子の印章の意で、いわば天子の象徴である。

「至武后改諸璽皆為寶」  (『唐書』車服志)

と見え、武后治世時代に天子の印を改め、すべて「寶」としてしまった、とい

うのである。

「寶」を解字すると、

 

「ウ→は廟所。廟所に玉や貝を供える形で祭器をいう。のち財宝、また尊称とし

て天子の位を宝位・宝といい、宝とするものに冠して宝玉、宝剣という。

(『字通』『字統』要約)

と見え、原義は祖廟の祭器ということである。

文字のなかに常に神霊の作用を感得し、自身の称号、年号をはじめ事毎に好

字を撰び「則天文字」と称する新字の制定まで実行した武后である。

この最も重大な天子の印の「寶」への変革に潜むものこそ、女帝としての彼

女の並々ならぬ決意ではなかろうか。

まず「寶」とは

●祭祠者としての徳

●君主としての人民に施与する徳

を保証するに足りるものであって、それは女帝としての武后の劣等感を一挙に

払拭した、のである。 (222・223頁)

                        著者 吉野裕子より