第8章3・「老」の神象
天印の中央、中天に輝く「老」は、篆文・金文その他にも載ってはいない、文字文化が始まって今
日まで確認された、あらゆる文字遺産に無い、未発見の篆刻象形文字であり、絶対「一」の神象「老」
の文字です。この「老」の神字・神象こそ、道教の開祖であり神である神仙「老子」の御姿を篆刻で
描いた“御神影”です。
そして又「日」「月」の光に照らされ「界」字の九畳篆に天象した“四龍”を従え、「太上」の“冠”
を戴き、大宇宙の中央中天に文字どおり君臨し、道理に基づき「君」の文字の“台座”に鎮座し教勅
する神仙座像の御姿です。
尚、本書1項の天印の押印は、天印が納められてあった御箱の内側に押印されてあったもので
私に命脈を託された吉田翁の手によるものです。押印された九文字を観察すると、この「寶」は押印
を目的としたものでないことがハツキリと観えます。
即ち、“蔵而不用”の印、神器であることが得心できるのです。印面から観受ける力強さ、躍動感、
神聖な印象と押印の文字を比較すると、その迫力の差は一目瞭然なのです。
それは「無」と「虚」、そして「有」(実)の三層三界の違いを意味するのでしょうか。
本書は始めに載せた印影写真を、「老」と道教の深淵「玄」の二文字を重ね合わせ公開を封じる事と
しました。日中のしかるべき有識者による学術的要請、又は中国道教関係者による公開の道理が明らか
になるまで、一切公開しないことと致しました。
今、あらためて神象「老」を、斎戒沐浴し衣服を改め謹んで拝観すると、その象の中に太上界から降臨
する「老子」の御姿、また君の台座の上、即ち玉座に鎮座する「黄帝」、疾走する「龍」、天地を駆ける「獅
子」、文字の神、四つ目の「蒼頡」、神獣「麒麟」「雷公」「雨師」「風伯」と、日に九度姿を変えると言う伝説
の通り、その篆象が変幻して観えるのです。
さらに大漢宇宙の中天「老」の文字、中央縦軸の線上に豆粒大に篆象した 、道教最高神・三清とも観える天刻
の光が、微かに、そして確かに観えるのです。それは又印面太極宇宙、陰陽、五行に君臨する絶対の「一」、
「太一神」の光であり、原始天尊を天隠したものと考えます。
この象影は見る人・観る人の体得した感性、宇宙観により九変し、様々な篆象に映るでしょう。
これ以上は遥かな「玄」宇宙です。
今は名も無き唐代随一の名匠、自らと一族の命運を懸けた、この篆刻師の、ひと打ちひと打ちの気
迫と祈りが、印面凹凸の陰陽に象した小宇宙から確かに観えるのです。現場の篆刻に従事されている
方々に伺うと、皆さん陶磁器に彫った経験は無いとの事で、恐らく根気の要る難しい仕事であろうと
の談話でした。無論、本書「道教思想と印の一考察」で述べた、無と虚“表裏一体”の凹凸陰陽宇宙で
す。
この凹凸の凹は陰なる「玄」の大宇宙であり、凸に象す陽なる「九」は、無限の大星雲を意味する象徴
の数位です。
この凸九文字は、その大星雲の中に一際光る北斗の巨星達であり、「老」は、その中天に鎮座する絶
対唯一の「北極星」の神象です。
勿論、凹凸陰陽、表裏一体の世界、それは「大極宇宙」天地未分の混沌宇宙です。
司馬承禎は今日のアインシュタインの相対宇宙理論とS・ホーキング博士の「ビックバン量子宇宙」
を観ていたのです。この九文字、ビックバン文字は陰陽の交合から生じた「木火土金水」の(五元素)
“五材”から成り立っています。まさに“ビックバン量子宇宙”の”具現化”を計ったのです。
この道教宇宙、「老子」の「無」の深淵から、湯川秀樹博士の中性子論が生まれたのですが、その中
性子や他の素粒子が、「老」の神字、原子核の中に豆粒状に観えるのです。
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まさに承禎は天の子たる「天子」・玄宗皇帝に、名実とも“甄陶”即ち天下を(陶治)治めよと、“原
子核宇宙’’天印の焼成を進言していたのです。
承禎の驚くべき、「玄」世界です。
そして、この漢大宇宙を封じ込めた“量子宇宙”“原子核”を焼き上げる為に、歴史に消えた陶工
集団が、約22年の歳月を費やし完成した天印を、今は名も知れぬ篆刻師が、太上老君に祈り無我無心
の境地で彫り上げたのです。
約1300年前、承禎は既に今日のビック・バン宇宙を、太極九文字の中に観つめていたのです、、、。