第7章「木」・歴史の遺産に観る
この項では神器「寶」を、考古学的出土品、及び伝世品からその歴史的意義と位置を確認して観る
ことと致します。
さて近年、秦の始皇帝「兵馬俑坑」の発見は、一般の我々もその規模に驚かされたが、湖南長沙(揚子江
上流)の「馬主堆」三基の墓の中から発見された、写真@・Cの帛画は、専門の研究者にとって、それに劣ら
ぬ驚きでであったと言う。
図A・BとD・Eは、この帛画の拡大明細図で漢代(前186〜168)の帛画であり、私にとっても
「寶」の思想、その源流そのものであり、衝撃的でした。
この帛画の説明について『崑崙山への昇仙』(文献93)に詳しく図解し述べられてあるので一読
の上参照して戴ければ幸です。
発見された「長沙馬王堆1号墓出土帛画」@及び「3号墓出土帛画」を観察すると、この章「龍」の角
で述べた「鹿」、又麟麟の前身「鹿」が、図Dに明確に描かれて有ります。
又「龍」も現在の完全な姿の龍ではなく、移行期の姿で、威嚇する様な、明確な「角」ではありませ
ん。
1号・3号共に上段に、「日」「月」が「寶」と同じく左右に描かれ、著者の説明によれば、埋葬者の
昇仙を願った図であるとされています。
この頃にはまだ「獅子」が伝わらず、これ以前、人気を博した「虎」や「豹」「蛇」「亀」などが描か
れてあります。
この二つの帛画は、獅子が現れていない時代の、言わば「寶」に秘められた思想の源流と言えるもの
です。
図Aには、この章1で述べた龍の基と想像した「蛇」が、女神となって日月の中央最上段、龍より上
段に措かれて有ります。
又下図F・Gは河南省「洛陽」で発掘された「洛陽卜千秋墓主室頂脊壁画」で前漢中期のものです。
F図の男の図またGの女の図には、共に蛇と思える下半身に尾の状態がみれられます。ここにも未だ
獅子は現れず、虎が王座を占め、龍には翼が見えます。
これらも昇仙を願う図であると言われます。
司馬承禎の生地は河南省・河内の人で楚の北端文化圏です。
楚はト辞に象徴される殷文化を源泉とした高い文化を誇っていたとされてます。これらも皆「寶」の
宝庫その源泉です。
下・写真Hは『古代中国の遺産』(文献158)に載る湖北省随州市西北郊で発掘された戦国時代・前
400年頃以前の『編鐘』で、「曾侯乙墓」の中室から発見された古代音楽史上、最大発見とされるもの
です。
この「編鐘」は合計65個の鐘が整然と吊されてあります。
並んだ中央に一つだけ鐘の底部、口周りが他と違う鐘があり、これは説明によれば、楚の恵王から
贈られた物であるといわれます。
最早お分かりでしょうが、65から一つを取ると64、即ち「寶」の最大画数四龍“64卦”なのです。
中央の異形の鐘は、絶対打ち鳴らすことのない「寶」の「不用」と同じ意味の鐘です。
恐らく64卦の象を鐘の音で奏でるのでしょう。
この不用の王者の鐘の突起、「乳頭」に当たる数は「五」の数で、各々四方鋳されてあります。
また写真I・J・Kは、『文化大革命中の中国出土文物』(文献91)に載るものであり「虎」「鹿」「豹」で
す。
前漢の時代は、まだ「獅子」の時代ではないようです。
下写真L・Mは唐三彩で、一対の獅子です。
ついに獅子の登場であります。
以上、考古学的発掘品、叉歴史的宝に、神器「寶」を観てみました。
今後、さらなる考古学の発見が押し進められ、他の神獣と獅子文化への変化の様子、歴史の縦軸及び
分布の状況からの“巨視的判断”が深まらん事を願う者です。
唐、玄宗の時代は、間違いなく獅子文化の黄金期であり、「寶」は天子の思想のそれまでの集大成で
あり、以後の根源をなすものです。
高宗と武后が眠る、手付かずの「乾陵」が将来、開かれる可能性があると聞きますが、その文物から
の推考が楽しみです。