第6章「太」・「天寶元年」

 悲願22年、奇跡と不可能への挑戦、歴史に埋もれた、名も知れぬ陶工集団の執念、遂に

甄陶・天下成る・道教史に不滅の足跡を記した大宗師・司馬承禎が創造した奇跡の太極そ

の印文、完璧に双璧する奇跡の陶磁器「寶」焼成成る。神噐・太極「寶」は大唐の東京

に創建なった、大伽藍、玄元皇帝廟の神殿に納められ「開元」の元号は遂に「天寶」と改

められた。

 この漢文化5000年に輝く、太極「寶」完成の壮挙に鑑み、第3章5に重複するが、唐代

文化における太極の「寶」完成の天寶元年を今一度、観ることにします。

 則天武后が璽を「寶」と改め、睿宗が、再び「寶」を璽に復した。712年年号を「太

極」とする。

 そして玄宗が“元を開く”として「開元」と年号を改め、「寶」完成により“瑞祥改元”

を勅令し、年号を「天寶」と定めます。

 また史上特異な年を「載」とし“天の「寶」を戴く”と“載冠”の儀礼を献じます。

 さらに「寶」を天から賜った“大寶”とし「承天大寶」と定め、八璽の上、不動の“九数

位の神噐「寶」の尊位を昇華します。

 玄宗は開元の治により「開通元寶」を発行し「寶」制作を秘密裡に宣言します。長安を

西京、古都洛陽を「東京」とし“両京制”を執ります。

 この措置は「寶」を安置する洛陽を「京」と格上げし、長安との均衡を図ったものであ

る。

 「寶」安置の宮殿を、同年「玄元皇帝廟」と命名し、また同じ年「玄元皇帝宮」と格上

げする。翌年さらに改め、「太微宮」と格上げ命名します。

 祖とされる老子に「玄元皇帝」の皇号を呈し、次々に尊号を格上げ改称し、ついには「大

聖祖高上大道金闕玄元天皇大帝」の尊号を献呈します。

 さらに著者の力不足により解説は前後する本書8章6「尊号聖文」を参照されたし、玄

宗は同年この「寶」の聖文、九文字の秘文を玄元皇帝廟に奉納したことにより、自らを「開

元天寶聖文神武皇帝」と尊称を格上げする。さらに同年、第5章「天」で既に述べた通り

勅令により荘子を南華真人と奉ると同時に、道家の聖人として、文子を「通玄真人」とし

て奉る。

 即ち、玄宗は道教経典を整備編纂し、史上の真人を道家の聖人として奉り、以後の道教

の礎を確立したのである。そして「安史の動乱」により大燕皇帝を名乗った史思明は神噐

「寶」を得て、記念銅貨「得一元寶」「順天元寶」を発行し、“天下の覇者”を宣言するの

である。

 『旧唐書』(文献13巻28頁1045)「樂一」に天寶元年4月降神用「混成之樂」と送神用

「太一之樂」2題の樂を玄元皇帝廟に奉納している。

 「混成」の言葉は『老子』二十五に“有物混成先天地生”とみえる。

天地混沌から生まれた太極の調べである。

 「寶」完成、降臨を祝う“降神の樂”と「寶」を玄宗皇帝廟の神殿にお迎えし、“太一”

に納める厳粛な“送神の樂”「寶」の調べ2曲です。

 玄元皇帝廟は「玄元皇帝宮」「太微宮」の改称前です。

 神噐「寶」奉納式典は、天寶と開元した4月、まさに花咲きほころぶ春爛漫の盛唐です。

 則天武后の時代に華開いたあらゆる文化は、この玄宗の「元」を「開」く開元ルネッサ

ンス(再生の意)期を経て大唐の華、天寶元年この「寶」の奉納式典に絶頂を迎えるので

す。

 712年「太極」そして誉れ高い治世「開元」年間、神噐・太極「寶」焼成の「天寶」

この年号は、まさに中国5000年の金看板です。

 太古以来あらゆる思想その文物を整理し、神噐「寶」誕生による新たな漢字を創造し、

新素材の磁器を開発し、荘厳かつ絢爛豪華な観を次々に建て、世界に門戸を開き、世界史

にその名を記す中華帝国の黄金時代を築き上げた成唐の年号です。

 中華5000年、漢文化のルネッサンス期、太極〜開元〜天寶、その頂点が「天寶元年」、

その金字塔が「寶」です。