第6章「界」・封禅の儀
泰山は、現在の山東省泰安市の北方に聳え、国土鎮護の五岳のひとつ、東岳の霊山で、海抜1524mです。
この泰山の主神は「東岳大帝」で、人間の生命、死後を司る神「泰山府君」とも称され、その子神「天
仙聖母」は女神で、陰陽二神が祭られ、今日も多くの信仰を集めていると聞きます。
この泰山封禅の儀礼の「封」とは、「土」を盛り壇を設け瑞祥を現す山海の幸を捧げ、「天」を祭
る事です。「禅」は「地」をはらい、山河を祭る事です。
封と禅は、天と地を祭る祭礼です。
いい伝えによれば、「神農」「黄帝」その他、伝説の聖王は、皆これを執りおこなったとされます。秦
の「始皇帝」以来、漢の「武帝」、唐の「玄宗」、北宗の「真宗」その他、歴代有力君主がこの泰山に
詣で挙行しました。
そして、王朝の安泰と不死登仙を祈願したといわれます。
この封禅の儀礼の時、道主皇帝である玄宗は、歴代の皇帝と違う特別の儀式、即ち仙人老子と一体に
なるべく、「寶」の秘密の印文を天に奉じたのです。
この「寶」の印文を観れば、玄宗の封禅の儀、最大の目的が観えてくるのです。
当然、それは唐朝の“元を開き”“有徳の帝王”である「道主皇帝」に就任した新時代のシンボル
神器「寶」焼成の祈願です。
“開元の治世”その完遂は、すなわち天下万民の平安であります。
そして死後、老子と一体の仙人となること、すべては神器・太極「寶」焼成の悲願成就です。
玄宗にとって、封禅の儀は名実ともの有徳皇帝、道主皇帝の証しです。それでも「寶」の完成なく
しては開元の治の完了も「天寶」とすでに心に決めてある瑞祥の改元も念頭にありません。こ
の泰山封禅は承禎との誓い、その秘められた玄宗の新たな決意の確認です。
725年、玄宗皇帝封禅の時作った「紀泰山銘碑」は、高さ13.3m巾5.3mの巨大な碑で、確認は
していないが916が刻まれ、唐式隷書で記されているとある文献は記す。平成12年1月10日の
朝の漢詩紀行の解説によると、この碑文は996文字であるという。いずれも碑文の文字数は
「九」の“永遠”と「六」の“幽玄”の数位である。
印文を幽玄の彼方に永遠に隠した意味を秘めた碑文なのであろうか?
いつの日かこの目で確認して見たい、興味深き碑文てある。
いずれにしても、唐朝の祖、高祖の徳と功を称え、玄宗自身が天下に輝かしい治世を開いた事を
記します。唐朝の従臣は勿論、ペルシャ天竺・新羅・倭国の外国使節も参列したといわれます。
随員・宋之問の封禅の儀の詩の一節に「谷暗くして千旗出で・山鳴りて万乗来る」とあり、夜闇に松
明をたいて行ったとされ、その篝火は眼下、龍と化した黄河を映し出し四方の谷や峰を灯し、一
際冴える「月」と満天の夜空と合わせ、渾然一体とした宇宙を荘厳の中に演出したでしょう。
そして陰から陽、闇から明り、月から日へというこの天地の循環に従い、大自然と一体となる
べく、図1の絵の様に、玄宗は厳粛な中に御来光を迎え、神器「寶」焼成を祈願するとともに太極
の秘文を天地に奉じたのです。
太極奇跡の印文、それに相応しき陶工達の不可能のへの挑戦は続いている。太極(先天)の年号
から準備期間に約6年・「寶」焼成の勅令を発して早7年。
「先天」も「開元」も全て、天を開く太極「寶」完成の願いである。
それでは、いよいよ荘厳な「月・界」そして「日・界」の「界」の項を終え、封禅の朝日を背に、