第6章「界」・通貨に「寶」を観る
古今、通貨の安定は国の経済の基であり重要政策です。
昨今、円とドルの交換レートに我々ですら関心が向く時代でありまが、大唐は世界の中華、世界に鳴
り響く当時の国際都市でした。
たまに見る、古い貨幣のコレクション及び、発掘された銅銭などを観ると、この唐代の通貨の実力
は、現代のドル並みの国際通貨であったろうと想像するのです。
いずれにしても大唐の象徴であり、中華帝国の世界戦略の基でした。
唐の太宗の時、発行されたと聞く「開通元貿」は日本最初の「和同開弥」、又ウイグルの「回髄銭」
などの元になるものであると『コインの歴史』(文献23−41)にあります。
この「開通元寶」はまた「閲元通貨」と読まれ、学者の間で文字の読み順に論争があるそうです。
「開元」の年号は勅令により垂直に放たれ問題はない。通貨を天円地方と観ると、この論争は、本書
「寶」の道理により終止符が打たれると考えるのだが・・・。
いずれにしてもこの「開通元寶」を、玄宗は武后以来うち続いた唐朝の混迷を元に正すかの様に、「開
元の治政」に合わせ発行します。
この太宗以来の通貨を、新しき“開元の新時代”に何故再び登用したか?新進気鋭の開元の天子な
らば、新名称の貨幣を発行しても、何等不思議ではありません。むしろ、そう考えるのが普通でしょ
う。
これは混迷が続いた唐朝を、偉大な唐祖の基に正すという玄宗の強い意向が働いたのです。
叉、則天武后の「周」建国は、あくまで祖母・武后の個人的発想でつけられた呼称で、太宗以来の
大唐とは何の関係もなかったという政治的な強い意向が働いたと考えるのです。
『大漢和』に「元」の文字は「天」「君」「第一」とあります。
当然、天、その他の意味は「道」であり天の基です。
即ち「開通元貿」は、“天を開くは元の「寶」に通ずる”と観ることが出来ます。天隠され
た「寶」を開く、叉、通ずるとも観れます。
「寶」焼成の願いと観るのは、一人、私だけでしょうか。
いずれにしても玄宗は、悪銭を回収して、基準を定め商業貿易の隆盛をもたらし大唐の経済を磐石な
ものとすることに成功します。
ここで何故このように、通貨、及び銭文の事について多少くどく述べたかと申しますと、次に話す
「寶」に関する重大な歴史の史実を、観て戴きたいからです。
『唐両京城坊攷」(文献6−260貢)に考古学上、重大な発見が載っております。項末・銅銭(2)を御
覧ください。この「寶」に関する歴史的発見に同書の銭文の解釈は無いのです。
全原文を載せると「五代後唐の同光三年(925)積善坊内で『得一元宝』の銭文のある銅銭456
枚『順天元宝』の銅銭440枚が出土した。
(文昌雑録)これら両種の銅銭は安史の乱に史思明が洛陽で帝位に即いた際に鋳造したもので、近年でも時
たま出土する」とあります。
この銅銭の出土する「積善坊」は、「寶」安置の外宮「玄元皇帝宮」が建っていた皇城前、激戦の坊区です。
最早お分かりでしょうが、銭文を解すると「得一元宝」は、“唯一” の「寶」・元を得る”、即ち
安禄山に代わり大燕皇帝と名乗る史思明が、「寶」奪取の宣言をしたのです。天下の覇者を名乗る資格、
宗廟の神器「寶」を天下に示したのです。また「順天元宝」とは、勝敗は決し、戦乱は終息し、これよ
り、元の平和を取り戻し、天下は‘‘順天” となったことを示してます。
今日の様に、マスコミが発達していない時代であります。
神器「寶」を取得し、全土へ通達する“即効メディア政策”である。
まさに“妙案”である。
膠着状態で、さらに混迷を深める戦局、しかも胡人である史思明が、急ぎ発行した気持ちは理解できま
す。安禄山は我子の手によって殺され、さらに禄山の子も叉殺されます。そしてこの後、思明も殺さ
れるのですが、捨て去られた銅銭に戦局の混迷が観えるのです。
「5章」で杜甫が悲痛な思いで詩に託し叫んだのは、この頃でしょうか。
胡人であり、しかも禄山と性格的に対象をなす史明の、冷徹かつ暴虐な性格を観る時、彼にはとて
も漢文化の神知は分かる筈は無いのです。
かくて「寶」は戦果の論功品として、動乱の中に消えるのです。
「寶」は限られた者、許された者のみが「観」る事の出来る「寶」であります。この唐代の政治・経済・
文化の分水嶺、明暗を分ける安史の大乱は、天下の覇者が握る、傅国璽八寶の上、承天の大寶、神噐「寶」
争奪の一大スペクタクルなのであります。