第6章「上」・『司馬承禎』現る

私は第2章4項で、この奇跡の「寶」この印文を発明した人物として、微塵も疑い無く

道士“司馬承禎”と予言しました。それは、これまでの人生で得た“嗅覚”第六感でした。

全ては導き“天啓”です。正に承禎に間違いは無かったのです。

 ワク内の原稿は、最初に仮仕上げをした「寶」本の文章です。

 証拠発見の感動の瞬間の一瞬です。記憶に失いたくなかったので、第1回目の原文を載

せます。

仮仕上げの最終段階に入った、平成8年10月10日、ついに歴史の痕跡を発見したの

です。

 ここへ辿りつくまでの日々は、言葉では表すことは出来ません。余りに膨大な歴史の海

原です。当時「寶」の命脈を託された吉田翁が老齢で床につき、焦りと混沌の中で彷徨っ

ていたのが現状でありました。

 『唐詩撰』(文献38-662頁)目加田誠著・詩「司馬道士の天台に遊ぶを送る」宋之間の

解題に司馬承禎が“三体の文字をもって老子を写した”とあります。

 正に謎に包まれた承禎が微かに残した歴史の痕跡であります。

たとえ著者の言う三体が、次項「老」で述べる書家承禎の三法の書体を指して述べたと

しても三体の文字は「寶」であることの間違いはない。

 本書、付記「平成承禎」の(3)に記した約二十年前の出来事、承禎驚異の観(感)はいま

だ健在であり、「寶」に秘められた謎の解明の全てはこの観と気が頼りでありました。

 まさに承禎その人であった。

 話しを戻すと当然、「三体」で老子を現した文字は“天隠”であるから「寶」に刻まれた

この“三行体”の九文字以外、唐代以後約1300年、後世のあらゆる文献・史書に載ってい

る筈はありません。『大漢和』(文献1)に「天隠」とは天徳に合して融通無礙、他人が其

の眞を窺い知ることができないこと。また其の人、とある。また「天隠子」に司馬承禎の

序、『神仙』ほか八篇から成る、とある。まさに「天隠子」は承禎の異名であり、この漢大

宇宙の太極、奇跡の印文「三行体九文字」の発明者は承禎です。そしてそれは道教の最高

奥義、天隠の秘術です。第2章4で紹介した承禎の師・潘師正に伝授された法が「陶印居

正一の法」で、承禎の道号が「道隠」です。

 「道」は「寶」であり、「寶」の天隠です。そして老子の教えに従い歴史の闇に自らの偉

業も全て“隠”したのです。

 承禎の著した書に『坐忘論』がある。題名から推測するに、恐らく今日みられる、座禅

の様な自己鍛錬法とその境地を述べたものであろう。それは、菎崙の霊山に分け入り、断崖

絶壁の岩穴を住家とし、天空を突く奇岩、別天の地で瞑想し「寶」の印文九文字が受けられた

瞬間の虚無、天地人一体の“忘我”“無我”の境地、その坐忘の宇宙を述べたものか。

 無の境地すら超えた“うろな”「虚無」、天地一体となり、森羅万象すべての存在、自ら

の存在すら意識の底にない、五感および知覚の消滅した虚空の世界、玄の深淵その果の無、

表現不可能な幽玄の宇宙であろうか。その玄の深淵でゆらぐ、虚と無その表裏の狭間に、

電撃に生じる光の亀裂、陰陽と五行相生剋の仕業、光の中で七色に彩る黄金の九文字が、その

空間に念写された、刹那の無限を述べたものであろうか。まさに“天上天下唯我独尊”釈迦が

一瞬のヒラメキで悟り、その絶句が生じた境地をさらに超越した天地なのか。

 道先仏後などの低次元を超え、経典や文字にして載せる事を拒み、天下の神噐に刻んだ

承禎。「老荘」の継承者さえ超越した、まさに唯我独尊の境地、弧高の司馬承禎その自負心が、

1300年歴史の空白となさしめた、その時空の中に観えてくる。

 それではいよいよこの本書の六章・陰の章・そのまた闇、六の爻「上」に配当した司馬

承禎の、微かに残す彼の足跡を観て、これより次爻印文「老」に、本格的に登場を願い、

唐代“歴史の空白”を埋め、中国史に果たした彼の偉業と、その驚異の占易を観ることに

します。