第4章7・九畳篆
「寶」の印文の“文字形態”で時代を推定するには、唐代前後の印文の変遷を系統的に
分類し、その特徴を細かく検証しなければなりません。
『原色陶器大辞典』(文献45)の陶印の項の記述により、私が最初に疑った、北宋の風流
天子「徽宗皇帝」が編纂したと言う中国最古の印譜『宣和印譜』も、今は現存しないと聞
きます。ただこの章1「傳国璽」の項で載せた、六印を再度、観ていただきたいと思いま
す。著者自身、資料の原本不詳との事で、実体の確認はされてないようですが、しかしこ
れに描かれた、紐の神獣の姿や、印の篆刻の様子、また添え書きの説文などを観ると、た
だの想像で書いたものとも思いません。もし、この現物が現存すれば、かなり貴重な宝で
す。なんらかの現存した資料を、さらに写したものか、相当な資料を元に想像し書いたも
のかどうか分かりませんが、一応これに基づいて観てみると、紐の印文また篆刻の文形な
ど、「寶」との時代的な違和感が全く無いのです。紐に載った神獣達の細工の繊細さに、「寶」
との共通性がみられ、共に唐代工芸技術水準の高さが彷彿され、時代の同一性が感じられ
るのです。
『東西印章史』(文献98−198頁)「傳国璽」の項に載せた図4「開元」の小璽と同じ「開
元」の文字の璽印を、玄宗皇帝が鑑蔵印として用いていたとあります。恐らく、この図4
がそうであろうと想像されます。
著書の記述に「寶」界の文字に特徴的に見れる九畳篆は、隋唐の頃より官印に多く用い
られたと述べられてあります。
次に、項末にのせた『篆刻の歴史と技法』(文献21)に載る、時代別「官印」の印譜を観
ていただきたいと思います。
「奏」「漢」「魏普六朝時代」「唐」「金」「元」「明」と、九畳篆に絞ってその変化を見る
と、唐代で一目瞭然に分かれています。これは何を物語るかといえば、司馬承禎の進言か、
もしくは当時の学者達の「寶」政策の研究協議の結果に因るものでしょう。
「寶」の道理が法理となり、以後正式な規範となったものと考えます。
正に「寶」に象した「界」の文字に秘めた「龍」、これが後世に、決定的かつ絶大な影響
を与えたのです。
もちろん、それ以前も龍は皇帝を現すものですから、璽に象されてあっても、なんら不
自然ではありませんが、後世の官印に決定的な役割をはたしたのは「寶」なのです。
それ程、唐代の黄金文化と、その中心である玄宗及び承禎が完結した“皇帝文化”は、
後世に絶大な影響を与えたものです。
この九畳篆の明確な時代変化にも、寶の時代が鮮明に観えてくるのです。「寶」と、玄宗