第4章5・界の九畳篆と五龍






 印文の日界、月界の陰陽二界に象された、「界」の二文字の下の部分「介」の箇所は、篆刻師によ

り意図的に、折り畳み曲げられ、「龍」の“尾”に似せて、古くから伝わる「雷紋」のよう

に、二重三重に折り曲げてあります。これは印文の配列による、字数の格差、余白を埋め

る篆刻技法の一つとして編み出されたもので、「九畳篆」という篆刻技法です。この九畳篆

に“龍”がひめてあることは分かっていたのですが、果たして何匹の龍が描かれてあるの

か、長い間私の心に燻る問題でした。

 この呪縛から解き放って戴いたのが『中国人の超歴史発想』(文献24−133頁)です。

 発売間もない著書を書店で立ち読みしていたところ、書中に「含樞紐」についての記述

を発見し、正に稲妻が走り、私は図書館の『大漢和辞典』に向かって“一目散”に車を発信させて

おりました。

 著書は王敏氏の手によるもので、さすがに中国12億を代表する才女、懐深く、とても

楽しい内容でした。

 さて「含樞紐」とは、“五帝の中心が黄帝であり、その由来は王者祖先が五行相生相克の感

応より生まれたからと言われます。これは漢代の「感生帝説」によるとのことです。

 「寶」に描かれた界の文字の上「田」は、「五画」で王の標しであり、その下の九畳篆は

二つに分けられ、二匹の龍、即ち合計四龍を象したものです。

 私はこの著書で正にヒラメキを感じた時、この印文が“漢宇宙”であり、“太極宇宙”を

現したものである事を、再び呼び覚ましたのです。

 「太極」とは“太”と“極”です。しかも漢宇宙、天の川です。

 さすれば、わたしの“絶対的”“確信”に間違いがなければ、『大漢和辞典』の漢・天の

川に最大の巨星として輝いている筈です。

 漢字の画数は易の卦爻である事を、既に第11819で述べました。

 であるなら漢字の最大卦爻、即ち最大画数に必ず答が載っていなければなりません。私

は、まさに呪文を唱えるが如く“絶対に”を幾度も口走りながら“車を飛ばしておりまし

た。

 項末@Aに載せた『大漢和』本文を御観覧下さい。それは“正に”六十四画“です。声

を大にして重ねて”64画“です。

 吉野裕子博士が唱えられた“陰陽の感応”星の瞬きのように“「0」混沌がビィーンと「一」

と化し、陰陽「二」気となり、「四」象し、「八」爻し、「六十四」卦となったのです。

 正に驚くべき歴史が突きつけた“現実”です。

 承禎の名において、@の注釈に疑問を呈しておく。

 仏先道後の戦の中から仏教側が注釈したものであろう。

 諸橋博士も注釈出来なかったこの二文字に、今後専門の諸先生方により、さらに考証が

加えられ、『大漢和辞典』に何時の日か晴れてのせて戴く事になるであろう。“正に承禎文

字として”。

 さらに見ると、『大漢和』に「四」は「駟」に通ずるとあります。

 “駟”は八尺以上の大きい馬の事を指し、古来この様な大きい馬を“龍”と呼びました。

 「寶」に描かれた、界・界の「四」つの九畳篆は駟の尾で「龍」です。天印「寶」の獅子の

尾の造形は、ライオンの尾ではなく「駟」(大きい馬)の尾です。しかも、第1章6で既に

紹介したように、田の画数は五画で帝王「神農」を秘めます。中国で「帝」は即ち「龍」

であり、「田」は“龍の頭”です。そして「田」は『大漢和』に、「蒼龍の宿」とあります。

ゆえに「田」は二つに分けられ、龍の勇姿、その全貌を現すのです。正に“言葉を失うの

です”。

 今一つの、文字を調べて観ます。「興」の一字を合わせた言葉に「興道」が見えます。こ

れは唐代の地名です。“興味”深い地名です。

 何時の日か「寶」の窯跡発見に向かわねばならない、候補地の一つです。“記憶に止めて

おかねばなりません。

 もちろん、末尾Cの表にして載せた、中央「土」の欄の上から五段目「黄龍」は、

天隠されてある事は最早述べるまでもありません。

 正に驚きを遥かに越えた、承禎の深淵です。

 漢字は太古より漢民族にとって、神の化身でありました。64画を天隠した「寶」は、

その「漢」天の川の「大漢」、太極宇宙の北極星であります。

 尚、門外漢と言うより全くの素人です。これ以上は、専門の諸先生の

研究を待つしかないが、則天文字の延長線上、開元のルネッサンス「寶」創造の過程で

相当の文字が創造されたと考えられる。

 これに関連して未だ放置された文字の一部を、Dに掲載しておく事といたします。