第2章・「載」
第1章で、天印[寶]が神噐であり、道教及び天子の思想を秘めた「完璧」を創造した
ものであること、そして中国史上、空前の至宝であることを示しました。
そして、最終の21項でこの神噐の制作を命じた皇帝は、まさに中国の黄金文化を築き
上げた、唐代“開元の天子”“道主皇帝”を名乗る「玄宗皇帝」と推定しました。
この章では、歴史が残した更なる側面から時代を割り出し、その各々割り出した年代が、
「寶」と玄宗皇帝が統治した時代の一致を確認したいと思います
振り返るに約15年前、将来の人生を乗り越えて行くに際して、不安と生き詰まりを覚
え、あらゆるジャンルの書を読み漁った時、一冊の本に強い衝撃を受けました。
それが老子の書です。
歳月は流れても、何時も心のどこかに老子は生きていたのです。
十年前、天印と運命的に出会い、そして追い求めている時も、心の無意識の底にそれは
あったのでしょう。
この魅惑に満ちた、不可思議な天印を観つづけているうちに、どうしても、この印文の解明
と[寶]の出生地、即ち窯場の特定、又間違いなく中国皇帝の璽印であろうが果して
何時の時代の、どの皇帝が作らせたのか、等々の解明は、私に与えられた宿命の様に感じ
たのであります。
約5年前、この篆刻の印文が解明できぬ時、黒川先生と出会い、解読戴きました。
その時先生が、この印文は、“これ以上の無い最高の文言である”と言い放たれたその
一言が、私の脳裏から消える事は無かったのであります。
それから、資料を漁り、本格的に調べ、推考に推考を重ね、そして書く、まさに中国
5000年混沌の大海原に乗り出したのです。
そして今、この神秘の陶印が、第1章最終21項で指し示した。約1300年前の中国黄金
文化・唐代の白磁であることの、歴史的審判を下す時を迎えました。
天印完璧[寶]の神知は、天を突く巨壁であり、聖なる昆崙の山である為、見る人の目
線の高さ、思考の領域分しか、その姿を現さないのです。
膨大な知識を有した方であっても、知識だけでは、とうてい到達出来ない天地と考えま
す。
この[寶]の幽玄の美、神秘の深淵を観る“気力”と“体力”そして“天”の導きがなけ
れば無理であろう。
第1章21で、[寶]焼成を勅令した皇帝は唐代開元の天子・道主皇帝すなわち玄宗皇帝
と名指ししました。秘めたる悲願、また本書の進行上、この第2章で、「唐代」時代の確定
を、必ずや明確に示さねばなりません。
次項、陶印の寸法からの時代測定は、まさにこの陶磁器を観つめる無心の気持ちが通じ、
私の脳裏に稲妻が走り、ついに“登龍門”の扉は開かれ[寶]の海道が濃霧の中にハッキ
リと示されたのです。
この天印の時代を測定する時、[寶]そのもの自体に動かし難い傍証の事実が必要です。
そして、その事実に向かって、あらゆる史実が全て交わり重なる必要があります。その交
わる地点が、天印[寶]創造の唐代を示さねばなりません。
重要なキーワードとして、天印が神噐であり、完璧であることを念頭に置かなければなり
ません。そして、神と天子を現す絶対の「一」と、木火土金水、大自然の神々を現す「五」、
それは皇帝が天下を治める「甄陶」の数位であること、そして永遠の「九」を印文に秘め
たことを忘れてはなりません。
もちろん「一」「五」「九」の数位は、第1章「載」『神噐完璧の定義』で揚げた無限大「九」
極「一」天子皇帝の道理「五」の数位であり、易哲理“太極宇宙”の重要な数位です。
ここで、第1章・述べた隠形術「天隠」を想起して戴きたい、天隠とは我々が、うかが
い知ることのできないと言うことです。
唐代黄金文化その登龍門が開かれた今、この[寶]が完璧である限り、道教最高秘術で