第2章2・璽と「寶」の改称の謎に観る
唐以前、天子が使う玉璽の呼称を「璽」と称しました。そして代々印材に、文字どおり玉
を用いていました。ところが中国史上、唯一の女帝「則天武后」の時代、史上初めて「寶」
と呼称を変えたのです。
しかし、その子、睿宗の時代には「寶」を廃し再び「璽」に復帰させます。そして、玄
宗の開元六年、再度「寶」を復活させます。この伝説的ともいえる中華帝国の印・玉璽、
この呼称が三度も変えられたのです。我々からすれば、たんなる呼称ですが、これは中華
帝国の何千年の歴史、皇帝文化史に特筆すべき、重大な出来事です。しかるに、この一大
変革の歴史的意義に、深く言及した書物は残念ながら見あたりません。
既に述べたように「寶」には、王者の「璽」に神・道の意味が付加されています。これ
は唐朝の皇帝「道教」の神、老子に因むのです。
仏先道後と大周革命に仏教を推薦して来た則天武后が何故敵対してきた唐朝の皇帝・道
教の教えである「道」の意味が付加された「寶」に改称したのか?何故太古以来伝統とな
っている「璽」を「寶」に改める必要があったのか?この重大な問題に関し、本書はいず
れ詳しく踏み込むが、何故玄宗が再び「寶」に戻したのか、歴史は全く答えてはいないの
です。
それは、玄宗皇帝が神噐「寶」制作による、新しい時代の到来“開元”への強い期待と
決意からと考えます。そして「寶」完成により、年号を瑞兆改元し、高らかに「天寶」と天
下に宣言するのです。
本書は順次この事に詳しく触れますが、天印「寶」はこの歴史の変動変革の説明にピタ
リと解答を出し、唐代・玄宗の時代に鎮座するのです。この「寶」が鎮座すべき、場所と
神殿は、第1章「天印の方位と位置」の項で示しましたが、いずれ道理をもって明確に
証明いたす所存です。
また玄宗皇帝が璽から寶に復した神噐「寶」に獅子が鎮座していた本書の「寶」である
事も、獅子の項でいずれ納得のゆく説明をする予定です。
この「寶」は『旧唐書』(文献13)巻24「車服志」の中に、“蔵而不用”とあります。
即ち印であるのに使用は不用で、「蔵」するのであったと記されてあります。
つまり、絶対に使用しない「寶」は神噐であります。
この『旧唐書』の記述と後世の歴史書を、この「寶」の発見と解明により、歴史的解釈
を補足しいずれ正さねばならないでしょう。いずれにしても、この神噐「寶」は、唐代玄