1章16・「印文」完璧の秘密防衛


 前項15まで神噐「寶」がいかに完璧な皇帝の「寶」を創造したかを解明してきました。

ここで改めて神噐「寶」の印面の写真を拝観願います。

 印面の篆刻の鑿跡を見れば文字は焼き上げた後篆刻されたことは明らかです。焼成不可

能な印を焼き上げた陶工集団です。最初の段階で漢字を篆刻し、焼き上げることは造作も

無い筈です。しかもその方が完成した時、文字が綺麗に仕上がることは、素人目にも明ら

かです。

わざわざ何故この様な、手間隙をかけねば成らなかったのか?

 この事も実は「寶」が神噐であることを解き明かす重要な鍵を握っていたのです。それ

は「神噐」即ち中華帝国の「寶」であり、宗廟に永遠に秘蔵する天子皇帝の神噐「寶」であり、

太極を秘めた奇跡の印文を完璧に隠秘する為です。

 いま一つ焼き上げの後篆刻した理由は陰陽五行思想の道理、天・地・人三才の宇宙観に照順

したものと考えます。焼成された「寶」は陰陽と五行相生相剋の確執により陰陽の天地が

形成され、その後、文明の象徴「文字」が生み出され、この文明の「人」と一体となり天

地人の三才か成立します。

 大1章11項・注で指摘した「天」の文字の“筆順”どおり、焼成、篆刻しなければな

らない、必然の道理が神噐に求められるのです。この様に、焼き上げの後篆刻する天の道理が、

厳然と存在するのであるが、いずれにしても陶工集団がこの印文を知る事は無かったので

す。

 篆刻師に対する秘密の封は「五族」「九族」に及ぶ「科」の厳しい掟で守られた筈です。

 この第1章16・「一」は皇帝「六」は易の陰極の数、道教で“暗く果てしない”「玄」

なる所を指します。即ち前項1と5の15爻で完璧に完成した「寶」は皇帝の「勅令」に

よりこの爻16「一」「六」の遥かな昔、永遠に押印されることのない、神噐として、全て

「玄」なる所に封印されたのです。

 天印「寶」は永遠に秘されてこそ「神噐」です。

 中国の万巻の史書を探したとしても、この偉大な印文を発見することは、“皆無”であろ

う。




(注)

 なお本書の第1章「載」の「完璧の定義」及び、前項15・この項16の項にも「完璧」

を載せまた全編を「完璧」
の今日的概念に照準を合わせこれからも「寶」の解明を進めて

行きますが、この項を借りて本書に用いた「完璧」について読者に一言お断りをしておきます。

 本書においてこの膨大な漢宇宙を封じ込んだ皇帝の印鑑を読者に分かり易く表現するた

め「完璧」の言葉を用いたことを、まずここでご了解願います。「盾」と「矛」の逸話にも

ある通り陰陽が完璧、無欠の双璧を呈するなら、矛盾が極限を呈すると愚考します。また

本書で述べる「地」が無限大になれば「円」となる天円地方の思想も地が方であることの

固定的観念を指してはいない筈です。また老荘の“無”の思想からもお叱りを受けそう

です。ですから、陰陽の太上は混沌の太極であります。また『大漢和』は「寶」を「完璧」

ではなく「神」「道」と解説しております。この『大漢和』の説明の通り、老子の説く「道」

は「神」であり、大宇宙そのもので、それを「寶」の前提定義にこの本を著すことは、凡

夫では不可能です。

 この偉大な神噐「寶」の創造者は皇帝に、「完璧」と言う表現はせず「道」もしくは「太

極」制作の表現で「寶」の奏上をした筈です。『大漢和』にも完璧の故事はのっており、本

書で扱う「完璧」ではありません。

 あくまで本書を推し進め、読者により理解を得る為、「完璧」の表現を用いたものです。