当代随一の名工と噂される篆刻師であっても、磁器であり神噐完璧を彫ることは至難を
超えた神技の極地です。失敗は五族、九族におよぶ死を意味し絶対に許さない。恐らく
陶工達が費やした日々と同じ歳月を、この篆刻の習熟に費やしたであろう。斎戒沐浴、
心身一切“無我”の境地である。
印面の鑿跡に、不動の中にも薄氷を踏む篆刻師の、ひと打ち、ひと打ち、“魂”を打ち込
む祈りが観える。未完に終わった陶片で、いかに技を磨くとも、天地開闢、五行相生相剋
が天下の印面に残した“嵌入”は千変万化である。篆刻師が振るう、最初の一撃は、中央・
中天と表裏する、陰極の「老」天地創造・万物始成・天地開闢の“一打”である。“心技体”
鍛えに鍛えた篆刻師、入魂の一撃は神宮の静寂を破る。全身の神経は、逆立ち、印面の一
点、一点に集中する。鑿の角度と打ち降ろす衝撃力は時の刻みと変わることはない。鑿音
は時を刻み、歳月は陰陽凹凸を祭立たせ、印面・天刻宇宙の全貌を次第次第に現す。ただ
一度、一撃の失敗は、漢大宇宙の終焉、万死を意味する。神宮は静寂の霊気に包まれ、時
すらも無の底に沈み、吐く息さえ透き通る無我の境地、神技の鑿音だけが正確に時を刻む。
文字神「蒼頡」に祈り、陶工達に負けぬ篆刻師としての執念である。
・・ただひたすら、「陽文陰縵」陰陽の“道”を彫り進む・・・・。
四季は巡り巡り、差し込む光も和らぎ、早春の息吹が神宮に漂う。
天地開闢の一撃に戻る中央中天に、万感の気を振るう・・・。
・・・・・・。
かくて、本書第一章・15爻「一」と「五」の聖地で「寶」は成就する。
神字「老」に「三清」と「北極神」の全ての願いを込め、静かに鑿を置く。全ては「陽
文陰縵」陰陽の道で天刻した太極の「寶」です。
そこは神噐「寶」誕生の地であります。
窯場は既に聖地として一掃され、帝都はすべて準備を終えている。
万民あげて祝典の準備は万全である。
瑞祥の改元は、「天」より“戴”きし「寶」である。
年号は無論、天の「寶」、「天寶」と改められたであろう。
神噐完成の式典は荘厳華麗を極め、「寶」は、この章8項「寶の方位」で推定した社稷
の東方・宗廟の地「洛陽」に創建された大伽藍の神殿その玉座に安置されたであろう。
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