第八章(三) 『反問と自問自答』
ここ迄、唐代史・道教史・陶磁史・漢字・印章・篆刻・易および陰陽五行思想・獅子文
化・皇帝文化など、考えられるあらゆる分野から「寶」の歴史的座標点を割り出し、そし
てその実像と大本は、間違いなく解明した筈です。
この神噐「寶」が想像を絶する無比の至宝であることは既に本書で明らかにした通りで
すが、しかしこの「寶」発見は、ただ単に中国5000年の驚異的至宝を発見したに止まるも
のではありません。
今後、唐代史・道教史・陶磁史・獅子文化の再考は勿論、これまで呈したあらゆる学術的分
野の見直しに迫られることは必至の歴史の大騒動です。
また、この「寶」の出現により後世の中国研究の指針となっていた『旧唐書』『新唐書』
の歴史書ですら、訂正と、新たな注釈が要求される・・・・!!!!!!!!!!!。
そして、私の知り得る限り、多くの印章の諸本に載る傳国璽八璽(寶)の、その冒頭に、
この「寶」を揚げねば今後、少なくとも唐代および唐代以後の「印章」について語ること
は全く意義をなさない。
個々には言及しないが少なくとも、今後、中国黄金文化そして以後の中国文化の中心をなした
“皇帝文化”には「易」と「陰陽五行思想」その太上に輝く、この“太極”の「寶」の哲理が
後世に絶大な影響を与えたことを抜きに考証されることは、あらゆる研究書にとって“画龍点
睛を欠く”ことになるでしょう。
即ちこの太極「寶」の降臨によって、今日まで研究された、あらゆる関係書の再考と、
今後の研究書にも計りしれない影響を及ぼすことは不可避です。
漢文化研究に”核兵器”が落とされたと言って過言ではありません。
この、想像を絶する太極「寶」“降臨”の歴史的壮挙に鑑み、本書を今一度、観渡し、自問自
答を繰り返し、本書と歴史に責任を負わなければなりません。
幸い仮仕上げの「寶」本を、関係各方面の方々にお送りしました所、本書の根幹を揺るが
す反論は無いものの、なお幾つかの細かな視点から腹臓の無い貴重なご意見を拝聴致しました。
それらのご指摘と合わせ、著者自身が自問する点にいま少し自答し、将来の反問に事前にお答え
致しておきたいと思います。
問1・「寶」に彫られた文字の象形が唐代篆刻象形の特徴が見受けられないのではないか。
この疑問は当然、未曾有の神器しかも天文学的確率から創造した究極の九文字の”太極”「寶」です。
当時流行した並の篆刻象形である筈はありません。
神噐「寶」は、『旧唐書』及び中国印章の諸本の書かれる傳国璽の八璽と伝えられる王者の印
と同じ篆刻象形である筈がありません。
しかも、唐代には小篆、 大篆、行書、楷書等々今日に見られる文字文化の様々な字態は、も
はや殆ど出揃った漢字文化の最盛期です。
「則天文字」に見られるように、漢字に関する霊妙な関心と、その研究の高まりは、恐らく中
国史上、最高潮に達した文字文化の黄金期です。
顔真卿を筆頭として当時はキラ星の如く、能書家がいた時代です。
まして皇帝は能書で知られる玄宗皇帝です。
そして印文の発明者は三体の筆法を会得した世に名高い司馬承禎です。
また本書で述べたように、のち八璽の別格、「承天大寶」と呼称された、神噐「寶」です。
「開元」の意味は既に解説いたしました。
天下の法理を改め、人心を一新し、唐朝を元に復し、全てを天の道理に戻す第三章八の『旧唐書』
に載る”使用しない意味の”「蔵而不用」の「寶」こそ神器「寶」です。
当時の流行した字体、他の八璽と同じ象形である事の方が、「寶」の道理に合わないのです。
しかもこの字体は、本書では割愛しましたが篆刻で描いた道教絵画を秘めた特異な字体です。
もし当時の比較する字体があった場合、逆にその特異な様は際立つ筈であろうし、特別
かつ別格の篆刻象形であってこそ歴史と整合し、本書全体が自然に受け止められる筈です。
神噐「寶」は今日まで研究された定説や常識で推論しては観えてはきません。
問2・獅子の造形が当時人気を博した色々な獅子の造形とかけはなれた、特異かつ写実的な造形で、
獅子の造形的視点からは、宋・明・清時代に下った方が妥当ではないか
また玄宗がいた長安にも同様の獅子がいて、一対の獅子であった可能性はないか?
獅子の象形は、太古の伝説の神獣「白澤」です
あらゆる考証と論議を極めた造形です。
しかも「開元」と「天寶」の名に相応しく古式に則り精密を極めた造形で、当時流行し
た唐三彩の獅子の造形を一変する斬新かつ、精緻な造形を創作した「白澤」です。
獅子の造形にも、政道を元に正す「開元」ルネサンスの願いと、新時代をひらく新たな
願いをその古事に則る、かつ斬新な造形を秘めた筈です。
また天子は唯一天下の「一」皇帝であり神噐「寶」は太上の“太極”天の真理です。
一対の可能性は“皆無”です。
本書の解明はあくまで「寶」解明が主テーマのため敢えて言及しなかったが、恐らく同
時に創建された長安・大寧区の「大清宮」には原始天尊を投影した唐祖老子像を安置した
筈です。
巻末年表日本の欄734年、中臣名代、天尊像願い出るはこの「大清宮」の老子像の偉容に
接したからと私はみています。
以上上記1の説明また本書全体を理解して戴ければ当然答えは太極の「一」です。
問3・本書で述べる「寶」がそれ程焼き上げ不可能な磁器であるなら、なおさらの事、時代を下げた宋代
の方がより常識的ではないか、果たして唐代にそのような高度な技術があったのであろうか?
この問いは、陶磁器の鑑識だけが唯一の頼りで来た私の最初に迷い込んだ落とし穴です。
序章で述べた通り、加藤唐九郎の“宋、明の官窯に陶印あり”の記述です。
この問いに対し、それでは逆に、宋代なら可能であったのか、現代ではどうかと問いかければ、
いずれも不可能と奇跡は唐代の可能性と条件、また確率は同じです。
むしろ、陶磁史上初めて「磁器」を誕生させ、かつ“白磁”を生んだ唐朝(玄宗)の情
熱と、それに答えた陶工達の執念を“読観”取れば、「寶」が唐代であってなんら不自然な
ことはありません。
当初、私がかなり拘り疑った宋の徽宗帝では、本書に述べた歴史の事柄が整合しません。
天寶の改元、太微宮の呼称、獅子文化その他、本書で述べたあらゆる歴史的事象は宋代は勿論
他の時代では整合しないのです。
問4・印面の篆刻された象形が、これまでの璽印と比較すると文字の線刻が鮮明でなく、一見未完成
の文字とも見受けられる。
完璧を求める皇帝の璽印としては不自然かつはなはだ不出来なように見受けられるのではないか?
この問いかけは、当初私も反問した点です。
しかし太極「寶」は全てに変幻自在かつ森羅万象、宇宙全てを太極した神噐です。
当然この難問にも太極、天の道理は道を示しているのです。
私は初版本で印面の文字の象形は、漢字を彫ったものであるが、それとともに、文字で描いた
「篆刻絵画」と解説いたしました。
『大漢和』に『文字』の「文」は“象也”また「模様」「まだら」また「道」
とあります。
そして“色を交錯させて畫きだした模様”とあります。
第一章9項に載る「三清」の道教絵画は”まだら模様”を意識したと考える特異な技法で描かれ
てあります。
この印面の四方と中央は五行思想から赤青白黒黄の五彩で配色され、この五つの“色を
交錯させ”描いた篆刻象形絵画です。
文字でありながら、君、天子が感激している象形字態の台座に老子が鎮座し龍が飛来し、
日月が照らす道教絵画です。
全ての文字の線刻を鮮明にしては、神秘的絵画は深みの無い単純な絵画となります。
また『文字』の「字」はその象形からも窺われるように「生む」「妊娠」の意味がありま
す。
男女を見分けるCTスキャンなどがある現代ではありません。
妊娠は男女未明の混沌“玄”の状態、陰陽を鮮明にしていない状態です。
また印面は陽刻彫りですが、忘れてならないのは、九文字は陰陽一体の“混沌”たる太
極宇宙である事です。
文字を際立たせては、混沌たる太極の真理を現しているとは申せません。
またこの「寶」は新旧唐書に載る“蔵而不用”の神噐で永遠の“玄”に納められ姿を明らかにしない神
の象徴です。
天子は冕冠に五色の垂珠を垂らし顔を隠す。
いずれも“玄”に隠しその姿、形・顔を明らかにしない。
印面は、文字道理「寶」の顔に当たる所です。
実用の八璽ならいざ知らず、宗廟に奉る『旧唐書』に載る“蔵而不用”の大寶は格別であり、文字の線刻
を鮮明にしては天子と神噐の理に合いません。
また老子は日に九度姿を変えると伝説にあります。九は無限および永遠の意味がありま
す。『漢字』の「漢」は天の川、四季の変化とともに刻々その位置を変え「字」に秘める“生
む”のように、たえず新しい星々を誕生させます。
さらに篆刻の「篆」は印章の意味で『大漢和』に、「篆」の欄を見ると「篆煙」があります。
「煙」は“け むり”です。神聖な祭壇にたちのぼる線香のけむりが刻々変化する様に漢字の
呪術的“象”の変化を観たのであろう。
また篆刻の「刻」は“時”の意味です。まさに“刻々”その姿を変えます。
印文九文字全ては、自然の移り変わりの如く、自然に変化する状態を象形したと考えます。
即ち篆刻の字体は「無為自然」漢字本来の呪術的かつ自然的な“紋様”に篆刻したと考えます。
線刻を鮮明にしては“無為自然”の変化に適合している字態とは到底観えません。
古来、神や仙人はその御姿を鮮明にはしてくれません。
間違っても、天の子「天子」「皇帝」に不完全な出来、また天の道理に合致しない「寶」
はありえません。
美に対する感覚および感性は、それぞれの育った環境そして、人生の色々な出会い、また試練
により各自違います。
私は、この印面全体の豊かな表情に篆刻師の非凡さが十分伝わって来ます。
また一見、粗彫な篆刻象形の中に、漢字本来の持つ素朴な味わいと、霊妙な神聖感、ま
た唐代の人々が抱いた老子像、そのイメージが時空を越えて伝わってくるのです。
道は“変幻自在”方寸の宇宙は気象萬千です。
問5・印面の額縁と文字通り凸面の地肌を注意深く観察すれば、焼き上げの後、彫り上げたこ
とは理解したが、そうなれば時代を空けて後世篆刻された可能性も考えられるのでは無いか?
この指摘は、まず本書を御理解していただかねば到底お分かり戴けないであろう。
泰山封禅の秘文、司馬承禎三体の文字の伝承、そしてこの驚異的印文などを総合判断す
れば当然理解戴ける筈です。
それだけ唐代は文化の黄金期であったのです。
焼き上げが唐代で印文が「宋」もしくは「明」である筈は有り得ません。
まして現代の様に、社会全体が糖尿病状態の博学時代に生み出される筈はありません。
本書に示した印文の驚異を理解すれば「寶」創造と印文が時代を異にすることはありえま
せん。
古今の天才・司馬承禎しかこの驚異の印文は発明出来ません。
以上この項問い1に述べた理由と同じく総合的判断から唐代以外ありえません。
問6・この「寶」は何らかの理由で戦争中日本に渡ってきたものではないか?
この質問も、本書を理解出来ない方々から戴いた質問です。
もしそうであれば、本書で述べた、これだけの驚異的「寶」です。今頃、何らかのシグ
ナルが世情にあってもおかしくありません。東京神田・中国専門書店の諸本、その他あら
ゆる印章の本にも「寶」や、この驚異の印文に触れた本はありませんてした。
戦前は道教が盛んであった中国です。せめてこの驚異の印文ぐらいは、伝わって来てい
てもおかしくはありません。
現代に彫り込んだのではないかと思わせる程、汚れの無い印面の状態に、伝承の経路がこと
さら観えるようです。
私がこの「寶」を最初に観たとき、伝承などの言われ書きに拘ったり調査の矛先を伝承の経路
に拘ったなら「寶」の解明は永遠に果たし得なかったでしょう。
私はここ10年、古美術品の観賞は、由来や作者の名前、価格を殆ど見ない様に心掛け
て来ました。この様な伝承に拘る人に「寶」は永遠に観えては来ません。
「寶」は、無心でみるしか術のない神噐です。
問7・一見大理石にも似た玉と見間違うほどの白磁で、唐白磁、宋代の白磁といずれの特徴も
みられないでもないが、双方の時代の特徴を顕著に現した白磁でなく、極めてまれな白磁で
いずれの時代と断定するには極めて難しい問題とおもえる。
この神器「寶」の、陶磁器かたの時代鑑定は、非常に困難を極めるであろう。
何故なら、不可能と奇跡の聖域で、しかも約27年の歳月をかけ、焼き上げた神噐「寶」
です。当然並の唐白磁ではない、時代を下った宋代ですら焼成は不可能の空域、驚異の白
磁「寶」です。
恐らく唐・宋いずれの時代の微かな特徴や類似性が見られたとしても、時代を断定するには、
決定打に窮すると想像されます。
中国史上、文化の黄金期、史上空前の神噐「寶」です。
歴史全体を真に観通すならば、学術的一分野、また文字を追っていては到底観えては来
ません、まして、天子・皇帝玄宗が、隠秘の勅を発し、唐代の名工達が総力を結集し天地の
神々に祈り焼き上げた未曾有の神噐です。
この極小の至宝、その神知の“具現”神噐「寶」は、生半可な知識や常識では観えては来ません。
オーケストラの一楽器の奏者が自分が担当する楽譜だけで観ようとしても、とても作曲者の
宇宙は観えません。まして作曲者はベートベンを遥かに凌駕する“太極”奇跡の印文の創造
者、古今の天才です。
その天才が秘術を尽くし、しかも絶対権力者皇帝が勅令を発し“天隠”した神噐「寶」です。
この「寶」の時代特定は、陶磁器の専門家だけに鑑定を委ねても、その特別かつ特異性
を現す白磁に、とても断を下しかねるであろう。
本書に著した歴史的重大性、また今後の中国研究に及ぼす影響等々を考え合わせると、軽々に
鑑定結果を述べるには余りに限界があります。
もし仮に鑑定が本書解明に先立ち唐白磁と断定されてあったと仮定した場合、それは単なる貴
重な宝物、故宮の数多き国宝の一つとして展示されるだけで、未だこの驚異的“太極”「寶」
の実体解明はなされてはなかったと考えるのです。
本書で示した、道教・篆刻・漢字・獅子文化・易と陰陽五行思想・中国史、皇帝文化等々
の総合的“座標点”からの確定が正確な「寶」鑑定であろう。
その様な思いから私は、足掛け10年この無謀で途方もない航海に出でざるを得なかっ
たのであるが、本書「寶」本で、ほぼ“唐白磁”の鑑定は明確に確定した筈です。
この後は、陶磁器部門の関係者を含めた日中のあらゆる専門家の合同の統一見解が迫られる
筈です。その意味で本書「寶」本はまさに中国研究及び道教研究に身を置かれる、諸先生各位
に問いかける「寶」の歴史的公開質問状でもあります。
いずれにしても、陶磁器からの確認は最終的には窯跡発見が不可欠であろうが、本書で
提言した窯場の推理方法により21世紀には恐らく明らかになると信ずるものです。
関係者のご尽力を切望するものであります。
以上この項は現時点で提起された疑問点に答えたつもりであるが、今後も私の予想もし
ない疑問が投げ掛けられる事が想像されます。
しかしながら、「寶」は、それらの疑問と常識、博識と定説の遥か頭上、“太極”不動の
位置で星座しているのです。
もし世界中の陶磁器関係者がこの「寶」の時代鑑定が出せないとしたなら、それはこの
「寶」焼成にたずさわった唐代陶工達の気迫と技量、執念が現代人の知識常識を上回って
いるにすぎないのです。
もし陶磁器関係者がこの白磁「寶」が時代を下げた陶磁器と判定するなら、『大漢和』に
載る「寶」で、しかもこの「寶」と奇跡的に全く同じ「寶」が存在しなくては、真の唐代
史は成立いたしません。
その意味で学問の垣根を超えた、横断的“心眼”が求められる。
この天文学的確率に輝く奇跡の印文を観る時、約1300年の時空、その遥かな玄の彼方で
現代に生きる我々の博識を大宗師司馬承禎がカラカラと大笑いしている気がしてなりませ
ん。
本書完成を目指し東奔西走した1998年9月、日本経済は目を覆う惨状で、予断を許さぬ
状況です。
本年、11月、獅子座に流星の嵐が降るという。
1999年、この“太極「寶」”の光をどれだけの人々が観ることができるか、真の人の
多からんことを、只々祈るのみである。
(平成10年10月10日・今日は獅子が舞う秋祭であった)
上記原稿は初版本の原稿を割愛、整理し掲載したものです。
平成19年3月14日