「寶」の命脈         (六)           

 

その後も私は翁宅を時々訪れて教えを戴いていた

その間勿論何点か買わせて戴いた

当時翁は既に80歳近くでした

そして翁には奥さんと二人のお世話をする娘さん一人で、これだけの美術品を引き継ぐ人

が居なかったのです

高齢である翁は何度か寝込む時がありました

記憶は定かではありませんが「寶」を初めて拝見させて戴いた時から2年以上は経過して

いたと記憶しています

そんなある日、翁は私に問う!

君が私の収蔵している中で一番手に入れたい品は何かと

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私は直ぐには答えられなかった

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二点あった

勿論、中国皇帝の獅子印、それと中国宋〜明代の品と思われる総瑠璃の壷であった

私は 欲しいならこの二点と答えた

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そして翁は君が出せる金額を言ってみろと言う

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腹の中の金額は到底口に出せる金額ではなかった

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いかに好調な不動産業とはいえ、私には大学の息子、そして後に娘が続く

また家も建て直さなくてはならない

それに妻の同意がいる

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逡巡している私に翁は答えるよう促した

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二点は翁の収集した古美術品の中の最上手である

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しかも私に出せるお金は限られている

黙っている私に、傍にいた奥さんまでが促した

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それでも私は翁の前で金額を切り出せなかった

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私は奥さんを玄関先まで来てもらい

到底口に出来ぬ金額を口にした

それが当時の私に出せる精一杯の額であった

そして私は翁の家を後にした

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親族会議の末、翌日の夕方奥さんから受け入れの電話がかかってきた

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これはお金で買ったのでは無い、翁から命脈を託されたのです

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後年親族の少ない翁の葬儀の式次第を手伝った。

そして棺に完成した「寶」解明の本を添える事が出来た

拙著「寶」解明と執筆の7年間は、まさに命の戦いでした

7年の間、翁の体を案じつつお宅を訪れた記憶は薄い

寸刻を惜しみこの世界の至宝、「寶」と格闘していたのです。

深い悔恨と祈りの中で「寶」解明を報告出来たのが何よりの慰めでした

いささかなりとも翁の尊い遺志に応える事が出来たと、今も自らに言い聞かせているので

す・・・・・・・・・・・・・・・・

平成19221