第八章(一)『獅子と龍』
神噐「寶」の守護神として鎮座する獅子「白澤」は黄帝伝説に遡る事は既にお話の通りで
す
巻末年表を観ると則天武后時代より獅子文物が徐々に、そして玄宗の開元年間に入ると一
挙にその頭数を増やし、中国皇帝文化に華やかにデビューした事が窺えます
獅子が玄宗皇帝の開元のシンボルとして登場する以前、中国皇帝の象徴は殆ど龍でした
なぜ「龍」に代わり「獅子」がその王朝の主役の座に就いたか、今一度検証する事といた
します
シルクロードの恒常的ルート確保により、太古より獅子の生息しない中国人にとって、漢
の「武帝」以来、殆ど蜃気楼に近い獅子の勇姿を目の当たりにして、その登場は衝撃的で
あったろう
『狛犬』(文献151)に、もともと皇帝の陵は「麒麟」「天禄」などが王座を占め、獅子
はその一段下の位であったと言う
玄宗にとって、この獅子は「武后」以来打ち続いた“女禍”の時代と決別する、新時代の
到来を宣言する、政治的格好のシンボルとして、鮮明に映ったと思われます
「開元」の元号の意味は“元を開く”です
則天武后に簒奪された、“唐朝の元を開く”願いが「開元」です
私は、この開元〜天寶年間を唐代“開元のルネッサンス”(再生の意)と位置づけています
あの有名な「開元の治世」で、あらゆる改革を断行した玄宗皇帝の治世のシンボルそれが
「寶」の獅子「白澤」なのです
勿論これまで獅子の造形、印面の文字にも龍が数々秘めてあることは解説したとおりです
決して「龍」をないがしろにした訳ではありません
むしろ皇帝の象徴「龍」を「寶」の登龍門の扉、その向こう側の奥の殿深く、天隠したの
です
さてそれ以前の王朝のシンボル「龍」に少し目を転じてみます
太古に火や石器を手にするその又遥か以前、人類が巨大な爬虫類に対抗する術のなかった
迫害の記憶を、人類という種の深層、“DNA”に記録しているのであろう
この無意識世界に宿る“微”なる記憶から、蛇に代表される爬虫類を見たとき、殆ど恐れ
に近い複雑な深層世界が呼び覚まされるのでしょう
蛇は地中に潜り、水陸両用の鱗を装備し、アクロバット状態で“とぐろ”を巻き、仮死状
態化して冬眠し、遂には脱皮し、中には一瞬空中を飛ぶ勢いの種族もいます
また生物の中で、水と食料が無くても最長かと思える程の驚異的生命力を持つと聞いてい
ます
とどめは、自分より何倍も大きな敵を倒す猛毒を有する種族がいます
そこで、中国人は『医食同源』で、早くからその驚異的霊力にあやからんと食してきたの
です
その蛇信仰が、さらに肥大化し、伝説的進化を遂げたのが、今日に伝わる「龍」です
史書『爾雅翼』に「龍に九似あり」角は鹿、うなじは蛇、その他、伝々とあります。(『龍
とドラゴン』(文献10)
民衆は、万能化した、龍の霊力を頼みとして各地に龍信仰を生み、皇帝はその万能の尊性
に、自らを重ねたため、蛇の昇華転生「龍」は中華の象徴として、王者の地位に就くので
す
その王者の象徴「龍」は玄宗皇帝の新時代の幕開け、その象徴、獅子「白澤」に遂に王座
を明け渡すのです
このため、唐朝のあらゆる職人達が、獅子の勇姿を神殿、伽藍は勿論、あらゆる文物に巧
みを競った事は明らかであります
奈良時代天皇の勅命により、日本国の万代の礎を築かんと、住吉大社の水神に祈り、命を
懸けて海を渡った遣唐使達。その彼らがもたらした唐代開元〜天寶の精華である「正倉院」
文物も神噐「寶」を鮮明に照らし出すのです
毎日新聞社刊行の『正倉院寶物』写真集の「獅子」と「龍」を丹念に数えると、双方文物
の比較は獅子が21、龍は7です。
また「獅子」の頭数は75頭で、「龍」が10匹です
獅子が完全に龍を駆逐しているのです
仕方無いとは言え、正倉院の研究書物に、このことに着目した書物はありませんでした
今、私の心の中に0コンマ1%の疑いも無いのであります
諺に“唐獅子牡丹”があります
辞書に堂々たる獅子と華麗な牡丹
「取り合わせの良いたとえ」と訳してあります
唐代、詩聖・李白が『清平調詞』に、
楊貴妃を“牡丹の花”にたとえています
「寶」の獅子と楊貴妃、両手に華で、“唐獅子牡丹”です
玄宗皇帝の喜色満面の笑みが観えるようです
以上この獅子信仰は東南アジア全域に広がり、
その面域は万里の長城を凌駕する
そして神噐・太極「寶」の“神知”は、
遥か漢大宇宙、北斗の中心に星座し、今も漢文化圏を照らしているのです
遣唐使が持ち帰った獅子 「寶」の証拠 |
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獅子面 | 南倉T 全10巻 |
獅子面8体断然トップ | |
中倉 |
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龍 | |
文物数 獅子 : 龍 21 : 7 |
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頭数 獅子 : 龍 75 :10 寶の獅子完全に圧倒!! |
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正倉院文物から |
平成19年3月11日