「寶」の道    (四)

 

バブル期、今もお隣のT市の不動産業者で囁かれる程私は売買の契約を纏めていました

その同業者達も私が不動産をしながらこれほど骨董に暗躍していた事は殆ど知りません

私は当時約2000点の骨董品を動かしていたのです

父親から預かっていた約1000点の骨董品の90%以上を処分する事を心に決めていた

のです

それは私の古美術に対する考え方がそうさせたのです

その私の考えを簡単に述べておきます

@     将来のコレクターである若者のニーズの変化が第一です

A     超一流の美術品は換金性が高いが、二・三番手では換金性が極端に落ちる時代が来る筈

B     数では無く、質が問われる

以上の動機で父親に申し訳なかったが、私は決断したのです

蔵一杯の古美術収集に生涯をかけた父親を悲しませると思いこの事は結局死ぬまで伏せま

した

私は数を減らし、質を高めるため、色々策を弄しました

付き合っていたS業者と骨董品の複数トレードを開始したのです

さらにS業者から交換して満足いかない品はT業者に放流し再度複数交換する、T業者で

気に食わない品を再びS業者に回す。更に2・3の業者を絡めて、複雑な交換取引を繰り

返したのです。

お金を殆ど使わず、複雑な交換を執拗に繰り返しながら、手持ちの数を減らし、質を格段

に高めていったのです

2000点を交換処分して最終30点程に絞りました、

結局私の手元に父親の残りと合わせて、約50点の品が残りました

プロと半プロ(私)の神経衰弱です

子供の頃の切手交換が役に立った(笑い)

その頃は朝が待ちどおしい程の忙しさでした

骨董市にも足を伸ばしました

行動半径も人的繋がりも広がってきました

次第次第に目線も上向きました

そんな頃、「寶」の翁と運命の必然の中で出会うのです

そして古美術の本格的師と仰ぐ翁宅へ足繁く、通うのです

世は正に平成元禄、バブル期でありました

平成19222