第三章(九)『安史の乱』


755年安史の乱勃発

天寶元年から13年、太平を打ち破る、天下の大乱!!!!

安史の乱は節度使、「安禄山」とその部下「史思明」二人の反乱を略して呼称します

この乱は、天下の覇者がもつ神器「寶」の争奪戦です

神噐「寶」が安置された洛陽は怒涛の進軍の前に大混乱に陥った

そして遂に神器「寶」が奪われたのです

その歴史的動かぬ証拠を提示しましょう

その@詩聖、杜甫が1300年の時空を超えて今も叫んでおります

その詩を次に紹介いたします

下記の詩中“もって神器を正すに足りる”

まさに神器が奪われたのです。「正す」は取り戻し元に戻せ、の意味です

“宗廟”尚灰と為り“の宗廟は勿論、神器「寶」安置されてあった「玄元皇帝廟」の事で

そのA

『唐両京城坊攷』(文献6)に載る下記の銅銭をご覧下さい

記述の原文を抜粋する

『五代後唐の同光三年(925年)積善坊内で「得一元寶」の銭文のある銅銭456枚。

「順天元寶」の銅銭440枚が出土した。これら両種の銅銭は安史の乱に史思明が洛陽で

帝位に即いた際に鋳造したもので、近年でも時たま出土する』とあります

銅銭の出土する「積善坊」は下記の洛陽図にある皇城まえの激戦の坊区です


                                                            古銭の図

上図、二つの銭文を見れば明らかです。

重ねて神器「寶」が奪われた証拠です。

二つの銭文にある「元」を、『大漢和』で一応確認する。

「元」=(天)=(君)=(寶)=(第一)です。

即ち、「得一元寶」ほ、唯一の「寶」を得た。

賊軍、史思明が、天下の覇者象徴の「寶」奪取を天下に宣言したのです。

そして「順天元寶」は、勝敗は決し、戦乱は終息に向い、天下は順天になる事を全土に

通達したのです。

テレビ・ラジオ・通信手段の無い時代です。

天下に知らされる”即効メディア戦略”です。

まさに”妙案”です。

”安史の乱”は神器・太極「寶」の争奪戦その一大スペクタクルなのであります。

その皇城、激戦地から出土するそうです。

そのB

下記の「寶」印面の写真をご覧下さい

印面の左下の一部が欠損しています

私はその欠損に「寶」争奪の激しさを観るのです

まさに安禄山、そして史思明二人により天下は侵されたのです

756年安禄山、「大燕皇帝」を名乗る

欠損した神器「寶」は最早、完全無欠の神の位に再び祀られる事はありせんでした

神器「寶」は動乱の中に消えてゆくのです

                                 

平成1935