「寶」の道   (2)

 

不動産の世界に飛び込むまで、20種近くの職業を経験してきました

その全ての経験、曲折が「寶」の道であったと、今になって思うのです

人生の辛酸全てに無駄は無い

私は一時期、骨董商の道も、考えた事がありました

しかし地方では喰えないと判断して断念しました

当時は何より基礎勉強が足りませんでした

しかし今では全ては共通するものと思っています

一芸は百般に通ずる

私は一芸も何も無い

そのかわり、普通の人より3倍程の雑学を体験してきたとの自負があります

逆も真なり、雑学百般は一芸に通ずる

美を観る目は、それまでの人生でいかに苦しみ、悲しみ、苦悩をして、かつ人間としての

道を失わないか、私はそこにあると思うのです

知識では無く、いかに心眼を養うかであります。

最高水準と評価を受ける作品は、言葉にならぬ努力、研鑽、苦しみ、悲しみを乗り超えた

人の美の宇宙です

知識ではその宇宙は見えません

私は絵画その他の美術品を見るとき、作者や金額を見ない事にしています

県民会館に、年に一度開催される日展の何百点の作品を見に行っても、金・銀・銅の賞札

を目にせず、自分の心の中で作品に賞を与えた後、審査員の評価と照らし合わせるように

しています

自然界は引力で全ての物が上から下へ行き着く

反対にお金は持たざるものから、持つ者へ吸い寄せられ自然界とは逆の法則です

しかし古美術は必ずしもお金持ちの所へ行くとは限りません

そこが世の妙であり面白いのです

お金を持っていても成金は成金趣味の品しか集まりません

目線が低ければ低いものしか集まりません

また、心卑しきものの所からは名品はいずれ去ってゆくでしょう

超一流の品は一時的にお預かりしているだけであると、私は考えています

かくゆう私は未だ修行の身

「寶」は只只、天の悪戯、宿命でした

平成19221