寶の道 (十四)
「寶」本の初版が平成9年1月5日です
初版に約3年を要したしと勘案すると平成5年〜6年頃であろう
今から13・4年前程である
これまで報告したとおり「寶」解明執筆の準備段階はほぼ終えていた
明確な意志ではなかったが、それでも「寶」解明本を書く欲望は無意識の底で渦巻いてい
たのであろう
バブル崩壊と叫ばれ始めたのは私が「寶」執筆に本格的に突入する一年程前の平成4・5
年頃と記憶している
私の第六感、嗅覚がバブル崩壊を完全に予見していた
私はそれまで高岡を主戦場に不動産の仲介をしていた
もしバブル崩壊が始まれば仲介の取引は一挙に減少する
それを補う賃貸業務の収入は当時、全体売り上げの2割もあるか無しであった
私は主戦場を隣の
そして仲介業務から賃貸への事業転換を決断しのである
まさに180度の転換であった
当時高岡に所有していた3ケ所の不動産をまず処分した
そして、売り払ったお金で氷見市のアパート購入に成功する
そして株に熱を上げる妻に3度、全ての株を成行きで売却するよう迫った
しかし無駄であった
賃貸業務は女の仕事である、激しく抵抗されたが、私はそれを押し通した
そして当時積水ハウスの所長と共同戦線を張り、
める事にした
その無意識の底には「寶」執筆解明が渦巻いていたのです
同業他社はまだバブルに酔いしれていた
私は着々市内の空き家、古いアパートなどを次々に管理下にした
「寶」に本格突入する頃、賃貸路線は確かなものになっていた
市内の70%の賃貸を手中に収めていた
僅か1年半程の期間で成し遂げた
「寶」解明の体制はほぼ構築された
それでも私は「寶」突入期間の年間売り上げを500万と設定した
それは平成12年度以外、どんなに時間がなくても達成した数字です
私の読みはドンピシャであった
日本経済は、私が執筆中の7年間、一度も上げることなくズルズルと下降の一途であった
天は私に全てをお膳立てしてくれた
私は遂に「寶」に突入するのである
平成19年2月25日