六日目記事
神噐・太極「寶」の守護神!!!
“言葉を話す神獣”
白獅子「白澤」の秘密!!!
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それでは、古来より中国の皇帝の象徴は龍なのに、何故玄宗皇帝は唐朝の神噐に、伝説
の白獅子「白澤」を象徴としたのか。?!
その訳を話そう。
太極の台座で鎮護する伝説の白獅子「白澤」について検証しよう。
「太極」の印文を鎮護する「白澤」は中国古代の聖帝、道教開祖の一人「黄帝」伝説に
遡る。
古来より“有徳の聖帝”の御世に“言葉を話す”神獣、白獅子「白澤」が現れたと云う
伝説があった。
玄宗皇帝の祖母、則天武后の時代、忌まわしい多くの血が流され、しかも唐朝を簒奪さ
れ国名を「周」と改称された。
クーデターで国を取り戻した玄宗皇帝は、恐怖政治であった暗黒時代と決別し、新時代
の到来“徳治の時代”を「開元」と決定した。
「開元」とは「元」を「開く」であり“開いた元”は「太極」であり「周」から「唐」
に復す“新時代への強い決意”が込められております。
「開元」の前年が年号「太極」で、韻文に天隠した「太極の文言」を鎮護するは、有徳
の帝王の御世に降臨する、伝説の白獅子「白澤」です。
まさに玄宗皇帝は「有徳」の天子・皇帝たらんと決意し、「寶」のシンボルを皇帝の紋章
「龍」ではなく白獅子「白澤」と決定したのです。
当時、シルクロードの確かなルートが開かれ、百獣の王、獅子が世界の都、長安にその
勇姿を現わしたことは想像に難くない。
この衝撃的デビューをした獅子が、歴代皇帝の象徴「龍」に代わり、唐朝の神噐「寶」
に鎮座したと明らかに推測される証拠をご覧下さい。
それは遣唐使たちが持ち帰った「正倉院」宝物に見られるのです。
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正倉院の「龍」の数と「獅子」の頭数は75対10で“獅子が龍を完全に圧倒”してい
るのはその証左です。
当時、長安、洛陽の二京の宮城、創建された寺社の、あらゆる彫刻、匠の美術工芸品に、
獅子文物が溢れかえっていたであろう。
それが遣唐使によりもたらされたのです。
今ひとつ「寶」の獅子が玄宗皇帝の守護神であったと推測される証拠をお話しよう。
「唐獅子・牡丹」と云うポピュラーな諺が、海を渡り時代を超えて伝わっている。
その諺の真の由来はこの神噐「寶」なのである。
玄宗皇帝のお后はあの世界三大美女と謳われる楊貴妃です。
その楊貴妃を玄宗皇帝の臣下であった詩聖李白が、牡丹の花に譬えて詠っています。
即ち「寶」の獅子と楊貴妃(牡丹)、両手に花です。
これが本当の「唐獅子牡丹」の由来なのです。
唐代以後この神噐「寶」の唐獅子「白澤」は、時代を超え東南アジア全域に伝播するの
です。
その伝播面域は「万里の長城」を遙かに凌駕する。
まさに驚きの史実です。
「寶」解明は私ではなく、全てこの言葉を話す伝説の神獣「白澤」が語ってくれたので
す
漢文化の歴史は開かれたのです。
特命担当 ○○
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