第4章6・「寶」の官窯
「寶」の窯場の推理を前項5で少し触れましたので、この項は一気に、この「官窯」の
在処に追って観る事と致します。
世界の陶磁器研究者が未だ果たせぬ唐白磁窯場の推理です。
しかし何せ中国は広大であり、まだ一度も訪れた事のない私です。何事も体験主義を標
榜する私ですが、これだけは今の私には物理的に叶いそうもありません。ここは『大漢和』
の羅針盤を小脇に抱え、さらに“気”を込めて1300年の時空を獅子アポロ12号に跨がり、
飛んで観ることとします。アポロ12号のことは、後で紹介する機会もありましょうが、
今は先を急ぐので後に致します。
さて私はこの窯場の推理方法として第2章2・唐「白磁の項」でも述べましたが、通常
の探し方、即ち陶磁器の視点からだけの発見を試みても窯場から遠ざかるばかりと考えま
す。あらためて「寶」の「道」と「神」を認識いただきたい。「寶」は神噐であり、窯場は
第1章10「印中の神々」で載せた総ての神々誕生の地となった所です。
ここまで観た通り「寶」には、焼き上がった造型、文字の文言全てに完璧の理由付があ
ります。即ち窯場にも天の理、道理に基づく必要が絶対不可欠です。『大漢和』に先の「興
道」以外、私が最も期待する、注目すべき地名を次に印し推理の一端を記しておきます。
『大漢和』に前項で発見した漢大宇宙最大画数、易の64画 、 の文字の基本を組み合
わせた地名に「龍興」が載る。まさに「龍」“興”るです。記述は「唐置く河南省“寶豊”
縣の東」とあります。「龍」と「興」それに「寶」の三文字の揃いぶみです。
寶豊縣は洛陽の南の方角で北極星の反対方向です。「君子南面」の諺からすると窯場は臣
下の方位です。これでは天子の方位と逆であり「寶」誕生の地に相応しくありません。い
かに地名が「寶」に相応しくても「寶」の道理、天の理に合致しないのでは神噐誕生の窯
場から除外しなくてはなりません。
ここは長考を要します・・・・天の理を求め文献資料を集め、そして道理の裏付けが求め
られる・・・。それでは私が大きな期待を寄せる
この「龍興」の「南方」への道筋、その「寶」の道理を推理する。
印面は四方で南北・東西の四辺、古代の天下は四柱に支えられた地方です。東西は3章
2で述べた通り、左祖右社で「皇帝」と「寶」の位置であり、日月が配当されてあります。北は
最早説明不要、不動の北極星の方位です。北極星と日月、北と東西三方は万全の布陣です。
しかしそれでは皇帝の天下、南の道理が稀薄で皇帝警護が手薄です。
これでは天下四方四柱のバランスがとれません。
南の夜空を観上げ『大漢和』を見ると北極星の反対側には南極星が輝いています。この
南極星は、寿命を司り、天下が治まる星とあります。そして北斗と同じ斗の形した南斗六星
が輝く星座です。「老」の文字は六画、南斗は同じ斗を形どる六星「六」数は第1章21
「勅令」の項で既に述べた通り「玄牝の門」で森羅万象が生まれる極地、母なる聖地です。
「寶」は漢大宇宙・満天の大宇宙です。これで「北極星」と「日」「月」、「南極星」
を配当すると四方天下は万全に照らされます。上記官窯の地は、恐らく未掘の闇「玄」の彼方
と思われるが、4方天下の南、南斗6星に輝く南極の光が、この4章6爻の陰の項を照らし光が
差し込むことを大きく期待する者です。
いずれにしても、さらに「南」関する史実の重要記述を『大漢和』に求める。神噐「寶」
完成の天寶元年、玄宗皇帝はこの年「老子」と共に道家の聖人と仰ぐ「荘子」を南華老仙・
南華真人の號を贈る勅を発している。
そして『荘子』(文献155)は南華真経として道教の聖典とする。
この南華真経には「寶」に関する重要記述が載る。この事は次章で原典と解説を載せる
が、承禎は「寶」創造にあたり老子は勿論であるがこの経典を深く修め道を実践している。
これにより南方は南極・南斗が輝き南華老仙が天下を見守り、四方は固められ、全ての道理
で治まる。第1章1「印材」で述べた「甄陶」は印面四方、天下を治めることである。天
子皇帝の統治する天下は万全の体制を敷いたと考えます。伝えによれば、同天寶元年、ナ
ポレオンも愛読した「孫子」を著した中国史上希代の兵法家孫武を同時に奉り、「寶」の天
下四方を警護させたという。
以上この様な論理の視点から「龍興」を注目するのです。
今一箇所「龍仙」の地名があります。「唐置く天寶元年、陝西省・・・龍仙縣」とありま
す。「天寶元年」に「龍」と「仙人」です。
以上約1300年前、これらの土地に「宮」や「観」が建っていたという言い伝えがあった
なら、周辺を調査してみる価値は十分あると考えるのです。とにかく、「道」は変幻自在で
す。北だけに捕らわれては、術は解けません。また中国ですから、恐らくこの各々の地名
の所だけでも、相当な範囲であろうし、しかも天隠です。承禎の奇問遁甲の術も考えられ
ます。窯場の特定は、この4章・8項のすべての方位、即ち四方八方を天の道理をもって
くまなく探さなくてはなりません。とくにこの6項(爻)闇の「玄」なる土地を詳しく検
証し探す必要があります。
以上、私の気もここまでです、窯場の断定だけは歴史に委ねるしか道はありません。こ
れ以外、唐代の道教経典その他に「寶」に纏わる、天の理に適う聖地があるなら、是非調
査する必要があります。この窯場の推定だけは今後関係者のお力に頼るしか術がありませ
ん。
「道」の道は変幻自在、そして道教の奥義は隠形術です。しかも司馬承禎は中国史に彼
の偉業を隠した偉大な「道」を究めた大宗師です。天に近い五嶽の聖山か、祖先が眠る祖
廟の地か、老子ゆかりの地か、いずれにしても総ての固定観念を捨てた「無」からの推理
の構築が必要と考えます。私ではこれ以上とても観ることは出来ません。もし私の推理が
外れても落胆しないでください。
しかし従来の探索方向の転換に対する提言だけはしておきます。
いずれにしても、端渓の硯と共に天下に鳴り響いた唐白磁です、必ず歴史が証明してく
れると信ずる者です。
そして、たとえ窯跡の発見が遅れようとも、ここまで著した“驚異の神知”をさらに観
通す事が出来る真の中国研究者であれば、航海半ばであるが、最早この「寶」が『大漢和』