37・『寶本』 |
搭乗の皆様に今後の『寶』本発売日と、その他「大和」のスケジュールをご理解いただきたく今一度「寶」と「大和」建造にいたるまでの経過をお伝え致します。 「寶」本最終仮本は、解明・執筆約6年半・その前後の闘争に約1年数ケ月、計4万時間弱を費やし、平成11年9月5日に完成した。 4万時間を約7・5年で単純計算すれば、一日14.6時間です・・。 第1回目の仮本完成が平成9年1月5日です。 第2回目が私の誕生日に合わせた平成9年7月14日てす。 第2回目以外、神噐「寶」に秘めた“完璧の条件”「一」「五」「九」易数位を背負った、身を削る日々であった。 昨年の9月5日より、学者・美術館関係者・各界の方々に差し上げた、訴状その他の手紙は200数十通。 執筆解明の段階からの諸先生各位の手紙も入れると300通を超える。 フロピーの記録とダンボール8杯の、残骸がそれを物語る。 そして今年2月の中国大使館への書状そして、中国本国・中国歴史博物館館長からの航空便が届いたのが3月始め頃、このホームページ「大和」建造に取り掛かったのが3月15日からです。 ここまで、ホームページ「大和」の日々は、53日です。 膨脹大宇宙を旅する「大和」の将来を見据えた時、「大和」艦船本体に、手直し・設計変更など、問題点が次々に生じ、その修正作業にほぼ30日を費やした。 各★惑星の建造日付を見て戴ければ相当きつい突貫工事ではあるが、過去の登破して来た峰々を考えれば、何ほどの事でも無い。 影に多くの人の、お力添えを賜ったとは言え、この7年数か月は、全くの自力航行であった。 10年前、バブル経済背を向け、仕事を縮小転換し、全てを「寶」に向ける体制を取った。 世はまだバブルの破綻を完全には理解していなかった。 その後の歳月は陰陽の嵐を引き摺りながらの太極の日々であった。 それは、殆ど無意識、本能とも言える行動であった。 全ては天命宿命である。 「寶」本は、神噐「寶」の印面九文字と同じ、全9章とし、中央五文字をに合わせ5章は5項に配当し、「寶」本、全項を印文の全55画に配当する太極宇宙への挑戦であった。 即ち「寶」本自体を▲『太極・寶』に見立てた、未知への挑戦であった。 無論“太極”至らずであるが、史上この様な試みは始めてと、密かに自負している。 懸賞歌「和漢太極寶歌」と太極「寶」本への挑戦は、恐れ多くも承禎の名を拝命した、自らに課した十字架であった。 その試みは、それまで積み上げて来た「寶」本のビックバン現象、重力の崩壊とも言うべき、手法の根本的解体であった。 いずれにしても「寶」本は、陶磁器・道教・中国史・唐代史・易・陰陽五行・漢字学・獅子文化・神仙思想・神話伝説・皇帝文化・渡来文化それら全てを登破し、一切全ての定説、学説を白紙に戻し、無の混沌から太極する気の遠くなる作業であった。 太極「寶」の解明・立証は、日本の▲“縦割り学問”“偏差値学問”では永遠に解読不可能な漢大宇宙への挑戦であった。 門外漢が挑戦した漢大宇宙への冒険、「寶」本に枝葉な錯誤、誤字脱字はあっても、歴史の大脈、大本に間違いは無い。 搭乗各位の中で、只一人でも「寶」本をご購読いただき、生きると言う事、生かされている事の何かを感得いただければ、それだけで私の労が報われます。
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