36・『詩聖・杜甫』 |
▲「李白」と並ぶ漢詩の巨星「杜甫」です。 神噐・太極「寶」発見に果たした社会派詩人杜甫の足跡は大きかった。 彼が天下に叫んだ悲痛な叫びが、1300年の時空を超え今も私に聞こえてくる。 神噐「寶」が、宗廟、即ち「玄元皇帝廟」改め「太微宮」から★(35)“安史の動乱”で奪われた事をお伝えしました。 それでは、「大和」が目指す登龍門が偉容を放つ「太極殿」唐代正式名称「玄元皇帝廟」改め『太微宮』を杜甫の歌で観る事とします。 彼の詩をハイビジョンに写し出します。 歌中・“守誂・厳かに礼を具え”とは神官が神噐「寶」に厳かに礼を整えている事を言い、“非常を鎮す”は警護が非常に厳重でっあったと言う。 そして“一気榜う”は伽藍が天まで聳える程であった事を教えてくれる。 まさに1300年前、杜甫はこの神噐・太極「寶」が奉納されてあった神殿『太微宮』の前に立っていたのである。 しかし杜甫も神殿のご神体・神噐が何であったかは知る由もなかった。 まして神噐が、獅子の陶印であった事など、到底知る事は無かった。 我々が▲「伊勢神宮」のご神体がどの様な形なのか知らないと同じである。しかし今、杜甫の歌と、現代日本に降臨した神噐・太極「寶」と、ここまでの事柄を重ね合わせると、ほぼ歴史の空白は埋められ、唐代史は整合、合理してくるのです。 今後も漢文化5000年の壮大なジグソウ・パズルを、ハイビジョン・パネルで、投影し繋ぎ合わせてゆきます。 杜甫が歌う神噐の叫びで、パズルは、まだ不鮮明とはゆえ神噐の全貌が70%観えて来ました。 まさに『玄元皇帝宮』の伽藍の偉容と、1300年前、杜甫立った『登龍門』が遂に観測されました。 コールデンウイークも終った。 何とか、来月6月3日発信にメドが立ちそうです。 引き続き★(37)『寶本』にアクセス願います。 |