今、平成12年5月5日・21時・夜9時。
皇紀2660年・西暦2000年、20世紀最後の「五」と「五」の天が祝す吉日、平安・大吉の日であった。
寸刻を争い「大和」突貫工事は推し進められて来た。
混沌・太極・極「一」は陰陽・天地に分けられ、天子・皇帝「五」の吉数日にホームページ「大和」は過去の定説を覆す『承天大寶』に挑む事ができた。
天寶10載、玄宗皇帝は、神噐・太極「寶」を『承天大寶』と命名した。 後世歴史家はこの「承天の大寶」を「大和」★(1)『神噐』▼D「新旧『唐書』・車服志」に載る3行目「傳国璽及八璽」・九行目「傳国寶・承天大寶為」この記述から様々な想像と解釈の混乱で、八璽または九璽全てを「承天大寶」と解釈した。
しかし、「寶」が神噐のため後世知る術が無かった為、致し方無かった誤謬であるが、ここに門外漢が謹んで歴史を正す事とした。
研究分野の諸先生および研究機関の方で、もしご意見、異議がございましたら、このホームページ「大和」★(48)『投稿コーナー』にアクセス願います。
さて元号「天寶」の「寶」は天帝・象徴の北極星であり、「載」は、天帝の帝車、北斗七星と説明いたしました。
そして『大漢和』「載」の語訳Aに“承也”を前項★(33)『載』で記しました。『大漢和』に「承」は「したがう・うけまもる・いただく」承天「天を戴く・天命を奉承する」とあります。・
いずれ、登場願う、この「寶」奇跡の印文を創造した謎の大宗師の名は「承禎」です。
玄宗皇帝の師は司馬承禎です。
『大漢和』・「師」の文字は“獅子”に通ずると記載された筈です。
「承天大寶」とは神噐・太極「寶」唯一の大寶である。
恐らく天寶10載のこの年であろう、承天の大寶命名を祝い舞われたという、舞曲『承天の調べ』が夜朝の船音に合わせ聞こえて来るようです。
平成12年5月6日 サンステージ7F・4時
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