33・『載』 |
天寶元年、玄宗政務の長安を西京、「寶」安置の洛陽を東京とし、均衡を図る二京制とする。 そして「玄元皇帝廟」を同年「玄元皇帝宮」と改称する。 743年「玄元皇帝宮」を再び「太微宮」と、格上げ改称している。 そして神噐・太極「寶」奉納、三年後の天寶3年、この年玄宗皇帝は史上まれな「年」の文字の使用を「載」とする様、改めている。 この事は何を意味しているのか? 私は玄宗皇帝が「勅令」を発し、この「年」改め「載」を採用した問題に特段注目し解説された歴史書に「寶」解明の期間遭遇できなかった。 まさに、私が唐代歴史の金看板に掲げた「太極」「開元」「天寶」の年号を天に載いたのである。 “いただく”は通常「戴」の文字が一般的であるが『大漢和』には「載」と同じであるとあり「寶」本は「載」を全編採用致しました。 「大和」は突貫工事のため、そこまではお手上げ状態です。 『大漢和』に「戴」は「いただく」「崇める」「感謝または尊敬する」とある。しかしこれでは、唐朝の天に戴く神噐「寶」に対し、70〜80%の並の歴史解説に終り北極星は遥か彼方であります。 私が「寶」本およびこのホームページ「大和」全てに「載」を登用したのには、深い訳けがあります。 「寶」本でこの「載」の秘密を少ししか解説せず、暈(ぼか)してあります。 そこで搭乗戴いた皆様に「寶」購読前に、この玄宗皇帝と私が共に隠した秘密を特別にお教えいたします。 この「載」の文字には「車」の文字が見えます。 この「大和」ホームページ冒頭★『神噐』の惑星▲「北極星」と▲「北斗七星」・星のコーナーで北斗七星は北極星に宿る“天帝の帝車”と解説いたしました。 漢大宇宙『大漢和』「載」の解説に、歴史書を覆すべき語訳が記されてあります。 「載」@のせる・舟車にのせて運ぶ『集韻』Aうける『正字通』“承也”(注A訳★(34)『承天大寶』に載)。 お分かり戴けたと思います。 『大漢和』の漢は“天の川”と何度もお話しいたしました。 即ち、神噐「寶」は、天子・天帝の宿る北極星です。北斗七星はその天帝の帝車です。神噐「寶」誕生を記念した元号「天寶」は、中国5000年の文化の北極星です。 「載」は漢大宇宙“天の川の舟車”天帝の帝車、北斗七星を歴史に掲げたのです。 まさに「載」舟車は「太極」「開元」そして「天寶」の金看板を漢文化の歴史に運ぶ、北斗の帝車です。 中国人は司馬遷の『史記』を例に取るまでもなく、歴史の記録を大切にしてきた民族です。 約1300年前、歴史に名を刻む神噐・太極「寶」焼成を果たした玄宗皇帝は果てしなく続く歴史の彼方まで、神噐・太極「寶」誕生の『天寶』の年号を永遠に伝えるため、その願いを北斗に託し「年」を「載」と改めたのです。 これが“史実”である。 まさに“承也”天より賜りし大安吉日、平成12年5月5日であった。 |