32・『天寶元年』
 中国5000年の至宝、神噐・太極「寶」が遂に完成した。
 準備期間に6年、焼成に約22年、印面篆刻に約2年、計30年の歳月を費やし、まさに「寶」は焼き上げられた。
 元号は『天寶』と天高く掲げられた。
 世に名高い「天寶」の幕開けである
 この年号『天寶』はまさに神噐・太極「寶」の完成により号された元号である。
 神噐・太極「寶」は、この年、二京の一都、東京・洛陽に創建なった「玄元皇帝廟」に厳かに納められた。
 西京・長安・東京・洛陽、大唐の都は国を挙げての大祝典である。
 『新旧唐書』(巻28音楽)は記す。
 玄宗皇帝は「玄元皇帝廟」にて神噐奉納式典を執り行ない▲「神降之楽」 「送神之楽」二曲で「寶」を奉納したと言う。。
 この「玄元皇帝廟」とある「玄元皇帝」とは印面「太上老君」の▲尊号です。
 「神降之楽」の“神降”とは、神噐「寶」焼成により印面「太上老君」(玄元皇帝)が降臨した事を示し、その祝いの曲である。
 「送神之楽」は、その降臨した「太上老君」を、創建なった「玄元皇帝廟」に奉納する神送りの曲である。
 世界の大唐が国を挙げての大祝典である。
 中華5000年・文化の黄金期、その金字塔に輝く神噐・太極「寶」・メードイン・チャイナの奇跡が、遂に完成したのである。 、
 唐朝の祖先、神噐「寶」の「太上老君」を奉るため長安を西京・洛陽を東京と均衡を図った。この大唐の二京は、今花咲き誇る春爛漫の抜けるような青空であった。
 ここに、歴史上だれ一人知る術の無かった年号「太極」「開元」「天寶」の金看板を大唐史の頭上高く掲げ歴史に印す。
 以後中国史5000年の歴史に、さん然と輝く、この三枚の金看板を外して語る、大唐中国史は、全く歴史を本質を観ていない机上の学問とハッキリ印して置く。         
 歴史の夜明けと、希望の朝日が、今まさに日本海を真っ赤に染め上げている。
 歴史は、必ず塗り替えられるであろう。
 この歴史に刻んだ“天寶元年”と共に、平成12年5月5日(大安)は、東方より人来る”私にとっても思い出の日となるであろう。

平成12年5月5日 5時