掲載の通貨は古銭収集の方でなくとも、大方の人が良くご存じの「開元通寳」です。
この▲『開元通寳』の読み順に学者間に論争が有るという。
「開元・通寳」と「開通・元寳」の二通りの読み方です。
この微笑ましい学者先生の論争資料は、私の手元に届いてないが、搭乗の皆様で、もしお持ちの方がおいでたら「大和」★(47)『投稿コーナー』に打電いただければありがたいです。
それはさておき、既に元号「開元」の意味はお知らせいたしました。
いつの時代もそうであるが、▲『時代の最高権力者』その心の底が観えなくては、本当の歴史は観えては来ない。
ホームページ「大和」は膨脹宇宙である、いずれ天が許せば、私見を展開する日もあるであろう。
この唐代に発行された通貨で、後世の歴史家が、だれ一人解き明かす事ができなかった通貨の謎に触れておきます。
この事は、天下の覇者がもつ神噐に関わる歴史の大事です。
その通貨は、▲『安史の大乱』時に急遽発行された▲「得一元寶」「順天元寶」です。
いずれ風雲は急を告げ、「大和」は動乱の真っ直中に突き進むであろう。 話しを戻す。
「開元通寳」は唐朝・太宗の時代よりあったと言う、世界の大唐の新しい幕開けに、何故新名称の通貨を発行しなかったのか?
そして、太宗時代の通貨の名称「開元」を元号としたのか?
元号は「明治」「大正」「昭和」「平成」と同じく時代に願いを込めたその時代の金看板です。
年号決定には、最高権力者の時代認識、政権運営の核心的願いが象徴的に投影されます。
皇帝が最終的、判断を下すまでには、あらゆる学者・歴史家の意見が求められる、 それ以前の女性である則天武后の様な、底の浅い思い付き元号ではない。 まさに、天道を踏みにじった妖怪に決別し、政道を“元に正す”“元に復する”元号である。
それには、歪められた、あらゆる制度を唐祖・太宗の時代の基に復する必要がある。
私はこの開元の治世、そこに推し進められた大改革を★『開元のルネッサンス』と名付けた。
則天時代は政権略奪政争の具として仏教が幅をきかしていた。
唐朝の皇宗は「李」姓を戴く開祖「老子」の道教であった。
その開元のルネッサンスの象徴が神噐・太極「寶」の創造であった。
まさに世界の大唐その威信をかけた「寶」▲アポロ計画が、スタートしたのが「開元」元年である。
★(18)『寶年表』開元・元年712年、中国全土の陶工に招集の勅令は発せられた。
そして6年の準備期間を経て、718年神噐・太極「寶」の窯が準備された。、
▲窯は神噐。太極「寶」を焼き上げる史上最大の“登り窯”巨大なヒラミッドであった。
遂にこの718年、王者の印「璽」は「寶」に復す、勅令が発せられた。、、即ち、神噐・太極「寶」焼成の巨大な窯に火入れされアポロ計画がスタートしたのである。
『寶年表』は、中国歴史文化、合作の年表です。 縦割り行政と同じである。学問も一分野、その周辺領域だけの研究では本当の歴史は観えては来ない。
ここも気が乱れ「大和」が迷走しております。
軌道修正し先を急ぐ
721年玄宗・道教茅山派12第宗師・司馬承禎より認証され▲道主皇帝となる。・
史上始めての道主皇帝の誕生である。
725年泰山封禅を挙行し、神噐・太極「寶」焼成祈願をする。
全ては、開元のルネッサンス、政道を元に正す願いであった。
まさに開元年間の歳月は「寶」焼成年間の何ものでも無い。
漢文化の黄金期、その歴史の扉は必ず開かれるであろう。
平成12年5月4日 9時
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