30・『開元の治世』

 開元の天子・玄宗皇帝、まさに中国5000年の歴史を通観するに、この唐代・“開元年間”の約30間は、どの時代の中国民衆より、希望に満ちた生き生きとした時代であったろう。
 まさに開元時代は、抜けるような青空であった。
 中央政府役人から、地方の役人、そして全国津々浦々の民衆に至るまで、新時代の到来に胸弾ませ、国造りに励んだ時代である。
 中国史を観るに、それ以前の女帝・『則天武后』の時代は、有史以来、中国史上、天の法理に照らし絶対にあってはならぬ、彼等自身の痛恨事であったろう。
 時代を色に見立てるなら金銀に赤、それらに陰惨な黒を溶かし込んだ、妖怪の好む、時代絵巻、戦慄の時代であった。
 “牝鶏晨す”まさに牝鶏・鳴く・・・牝の時代であった・・“平伏”。  日は隠れ月冴え、天地を揺るがす“恐怖の時代”であった。
 避けては通れぬ「寶」の道“歴史の空白”を埋めるため、いずれは対決せねはならぬ妖怪▲『則天武后』である。.
 希代の妖怪は今もあの白鳥座Xにあると言うブラックホールで血の涙で濡し、酒池肉林の饗宴を繰り広げると言う。
 その武后の時代に終止符を打ったのが玄宗であり、“開元”元を開いたのが玄宗皇帝です。
 まさに日は昇り、世は正され、中華はまさに抜けるような青空であった。 しかし、後世の歴史家はこの「開元」の年号に秘められた玄宗皇帝の願いを知る由もなかった。
 少なくとも、これまで私が通観した歴史書には無かった。
 驚くべき事であった。
 ★18『寶年表』を確認願います。
 「開元」の前年は「先天」で同年が「太極」です。
 「開元」の前の「太極」の年号は歴史から剥落し「先天」の年号が掲げられてあった。
 「先天」も「開元」も、願いは一つ「太極」の「寶」である。
 「先天」とは天の先、“天が開く先”と解釈できる。
 「開元」は“元を開く”である。
 『大漢和』に「元」とは「天」また「はじめ」▲(始め)とある。
. 即ち「開元」も、また“天の元を開く”天の先「先天」両方とも太極「寶」の願いである。・
 「開元」の次が「天寶」元年である。
 「天寶」は、まさに天の寶、「寶」は太極「寶」である。・
 即ち「先天」=「開元」=「天寶」は皆、『太極』である
 驚くべきことである。
 「太極」の年号剥落は、中国の歴史および文化を観るとき、絶えず「易」と「陰陽五行」その太上に輝く“太極”を念頭に置かなかったからである。 この「易」の太上に輝く「太極」は韓国の国旗にもなっている程、漢文化の極なのである。            
 ・・・・・・・・・言葉を失う。
 我々は本当に歴史を観ているのか・・。
 ・・・・・・。
 則天武后は▲“改元”偏執病で論外としても、玄宗が、あの歴史に印した記念すべき▲「泰山封禅」を挙行してさえ瑞兆の改元をしていない。
 しかも“開元の治世”で圧倒的民衆の支持を得ても、在位、約30年間一度も改元してはいない。
 これは何故か〃この神噐・太極「寶」焼成を、ただひたすら待っていたのである。
 ・・・。
 今は寸刻を争う。、。
 この開元の年号、「元」を“開」く”は「開元の治世」と称えられた玄宗皇帝の願い“元を正す”▲『文化のルネッサンス』期であった。
 まさに中国史、文化の黄金期その“歴史は正さねばならぬ”。
 今、ただ先を急ぐこととする。

平成12年5月3日 21時