26・篆刻・印章史
 「陶印」“焼き物”の印鑑が、この神噐「寶」以外、皇帝の「璽」、即ちナンバーワンの王者の印しになった記録は私の手元に無い。
 これまでの中国印章について書かれた著書にも、その様な記録はなかった。 この神噐・太極「寶」は、自然界の五元素と考えられてきた「木火土金水」五行思想を具現したものであるが、この様な観点から書かれた陶磁器の著書にも遭遇出来なかった。
 陶印は焼き物であるため、玉・金・象牙・木・などの印材と違い、焼き上げ、そして印面の文字を彫るのに労多い割りに、鮮明度が悪く、また実用性にも乏しのであろう。
 このため、メイドイン・チャイナと世界の通用語となっている、陶磁器の国、中国でも殆ど商業的価値が無く、陶印に関する記録も少ない。
 また現代の篆刻士の方々に直接伺っても、実際陶磁器の表面に文字を彫られた方がおられないと言っても過言ではないであろう。
 現実に陶印を焼かないのであるから、彫る機会も無いのも事実である。
 中国、古印収蔵で有名な▲岩手博物館▲茨城篆刻博物館、中国古印収集家・東京・京都・名古屋・大阪・福岡の老舗骨董店に電話を入れたが、皆さん陶印の話しは聞かないとの事であった。
 いずれこの▲『篆刻』および▲『印章史』について天が私に機会を許せば更に更に深めて行きたいコーナーです・・。
 古来、印面宇宙は“気象万千”と聞く。
 篆刻士、一人一人の宇宙観を、小さな“方寸の間”に印しておられる。
 また、現在も台湾などに今も熱心に信仰される中国道教の▲法印などに、どの様な秘密が隠されてあるのが、興味尽きないものがある。
 当初、私が「寶」解明の初期の段階で疑った、北宋の風流天子▲「徽宗皇帝」が編纂したと言う、『宣和印譜』も、今は現存しないと聞きます。
 ただこのコーナーで、『篆刻の歴史と技法』(文献21転載)の印譜をハイビジョン・パネルに写しだし「寶」が、唐代の印鑑である、側面照射をし、かつ以後の印章文化に、「寶」が絶大な影響を与えた事実をお伝えいたします。

             



                 「篆刻の歴史と技法」(文献21)

 この印譜は歴代中国の官印です。
 このパネルに写した印譜の様式にご注目ください。
 秦・漢・魏晋六朝と唐代以降と王朝官印の様式がドラマチックに変化しております。
 唐代以後の印字は、篆刻技法「九畳篆」で幾重にも折り曲げられ、印面の余白を埋め尽くしています。
 皇帝の象徴は古来より「龍」であった。
 王朝から発令される政令・裁可は全て皇帝の「勅令」である。
 官印には全て「龍」が印されてなければならない。
 九畳篆それは、皇帝の「龍」を印面に秘めたものである。
 まさにアクセス★(23)『漢字学』でお話しした九畳篆「龍」である。
 そして唐の時代を境に印譜はハッキリとその変化を示している。
 時代を境にこれだけ鮮明に異なるのは何を物語るか?
 この疑問にも、これまで拝読した限りの印章の諸本は答えてはいなかった。 まさに、この時代のドラマチックな変化は神噐「寶」が、一切の歴史的原因です。
 奇跡の印文「九文字」を神噐・太極「寶」に印す、篆刻字態を、謎の大宗師・司馬承禎が示した篆刻技法が、後世の▲官印の基となったのである。
 全てはこの後のアクセス★(31)『開元のルネッサンス』で、詳しく答えるであろう。


平成12年5月1日



 コールデン・ウイークが始まった。
 この10年私に、コールデン・ウイークなどなかった。
 この7年間、正月は2日とあったでろうか・・。
 年賀状は7年間で20枚出したであろうか。
 親の入院時も行けなかった。
 今は、歴史の扉を開く最後の戦いである。
 窓の外は大恐慌であり、未だ先行きは混沌である。
 そして漢文化の歴史は今も闇である。
 死など全く怖くは無い。断じて進まねばならぬ、大道である。
 平成12年5月19日を目指し、今は只、突貫工事のみである。
 天が許す限り「大和」は行く。


平成12年5月2日 2時半。