22・唐代史
 唐代史に特筆される年号それは「開元」と「天寶」である。
 しかし、この年号の真の意味を解説した歴史家は誰一人いない。
 致し方無かったのである・・・。
 そして、中国史にさん然と掲げなければならない▲金看板「太極」の年号も歴史に見落とされ剥落していたのである。
 この中国史に特筆される「太極」「開元」「天寶」の金看板すべては「寶」により号された▲元号である。
 まさに「寶」なくして、唐代史は語れないのである。
 いや、唐代史は勿論、道教史・中国印章史、獅子文化・皇帝文化あらゆる中国文明を語るとき、この「寶」を避けては通れないのである。
 「寶」出現前は致し方ないとして、近い将来、それでも歴史家がこの「寶」を避けて行くなら、それは歴史に対する、重大な誤謬、そして怠慢と考える。 『添え文』にも記したが、現下の大恐慌は学者とて対岸の火事ではないのです。
 神奈川・新潟における警察の不祥事、そしてバブルに踊り、大恐慌を引き起こした銀行の天下り上層部、日銀・大蔵官僚、新聞・マスコミその他と同罪と言われても致し方は無い。
 名は伏せるが、かって日本を代表する大新聞の文化部、しかも中国美術史、美術工芸について、一面を任される程の人に「寶」を直接拝見戴いた。
 お会いする前に事前に「寶」本も届け読んでいただいた。
 中国美術工芸の知識については、私より遥かに博識の方であろう。
 学歴と肩書きが、それを物語る
 しかし知識だけでは、到底この「寶」は観えない。
 人間的にはとても良い方であったが、致し方無い。

 いずれ登場する偉大な司馬承禎も1300年前、当時の世相に虚しさを覚え幾多の霊山に遊んだのであろう・・。
 現下の世相への強い怒りが、この唐代史の航路を蛇行させた。 
 窓の外は大恐慌、そして果てしない旅路の末の、更なる突貫工事です。
 6年かかった「寶」本を殆ど解体して、1ケ月半でホームページ「大和」に姿を変えようしている・・。余りに無謀である”
 睡眠不足で意識も朦朧としております。
 恐慌・流星群に「大和」の軌道は北極の方角から相当外れました。
 いずれ、唐代史は語り尽くされ、神噐・太極「寶」は中国文化の黄金期、盛唐の金字塔に、さん然と輝くであろう。

平成12年4月29日