21・『道教史』
 道教は、長く▲儒教・仏教と共に、中国文化の根底を流れる大河であった。 儒教を宗教と区別すれば、道教は中国で生まれた唯一の宗教である。
 道教とは★(12)でお話しした通り、長い歴史の中で醸成され、中国が育んで来た民衆宗教です。            
 その道教は、唐代に隆盛を究め、唐朝の皇宗となった。
 それは、「黄帝」と共に道教開祖と崇められた「老子」が「李」姓であり唐朝と同姓であったためです。
 その皇宗である道教が中国史上、唯一の女帝▲A「則天武后」の時代、仏教に取って変わられた。
 この則天武后の時代、歴史の表面に大きく現れてはいないが▲「仏先道後」「道先仏後」と言う仏教と道教の勢力争いが、時代の水面下で激しく繰り広げられていた。
 女帝・則天武后は政権略奪、そして政権強化に大いに仏教を活用した。
 この史上始めて誕生した女帝・則天武后が唐朝を倒し▲周帝国を成立させ、天子の象徴であった玉璽の呼称を皆「寶」と改めたと歴史は記す。
 神噐・太極「寶」は、天子皇帝の「寶」であると同時に、印面の文字「太上老君勅」が示す通り、道教の最高・法印です。・
 ご承知と思いますが、則天武后は中国史に君臨する唯一の女帝であります。 武后は華々しい時代の創造者でありますが、反面、隠された闇には、我が子を殺し、陰謀の限りを尽くし、多くの無実の人間を凄惨な毒牙にかけた希代の妖怪です。
 その妖怪武后が▲『則天文字』を全土に勅令し、「璽」を「寶」と改めたと歴史は記す。しかしその改めた時期を記した詳細な資料を私は手にしていない。実際、あれ程詳しく『監獄都市』『放蕩都市』で唐代「寶」の時代を著された大室先生の著書にも「寶」は登場しなかった。
 あらゆる「印章」の研究書も詳しい「寶」の内容と、その歴史に深く踏み込んではおられ無い。  
 この「寶」制作を、あの希代の妖怪武后が本当に命じたのか”?これは私に突き付けられた▲歴史のブラックホール・深刻な問題であった。  
 一昨年の3月頃「寶」本完成を目指す最後の相手は、この歴史の闇に蠢く妖怪・武后との死闘であった。
 まさに「寶」本における、最大の難関で、壮絶な死闘を繰り広げた。
 この妖怪武后は白鳥座Xにあると言うブラックホールで、今も血の涙にぬらしながら、酒池肉林の饗宴を繰りひろげているという。

 「大和」も一度は向かわねばならない、ブラックホールです。
 再び会いまみえる運命が私に待ち受けています。

 さて、玄宗皇帝・則天武后と「寶」にまつわる偉大な歴史の役者が出そろったからには、この奇跡の印文を創造した、真の主役をご紹介致さねばなりません。
 『司馬承禎』・まさにこの「寶」の出現により、後世の中国史に永遠にその名は刻まれるであろう。
 まさに「老子」▲「荘子」と並ぶ偉大な哲人が現れた。
 『司馬承禎』・「寶」も、そして彼自身も歴史の玄に封じた謎の大宗師です。

 後世、中国史に特段に掲げねばならない巨人である。
 致し方無かったとはいえ、この偉大な大宗師の人物像は今も歴史のベールに包まれ、謎のままである。
 いずれ、この「寶」の出現により、司馬承禎の人物像に、肉薄する歴史家が続出するであろう。
 ▲中国道教・茅山派12代宗師「司馬承禎」彼こそこの「寶」の真の主役である。、
 いずれ、その偉大な御姿は、「大和」のハイビジョン・パネルに大きく写し出されるであろう。


平成12年4月29日