6・完璧「寶」
 神噐・太極「寶」は、唐朝の皇宗・道教の開祖と崇める神「老子」の教えを印した印鑑であり、世界の覇者・中華の皇帝、象徴の「寶」です。
 さすれば、この神噐「寶」が不完全なものであってはなりません。
 中華の皇帝は即ち、世界の中心にあって、天の子「天子」絶対の存在です。 「寶」が不完全であることは、万に一つも許される事では無い。
 まして、老子は神である。
 神が不完全であることは、これ又有り得ない事である。
 『大漢和』、「寶」の語訳は、神・道・印章・宝とお知らせ致しました。 即ちこの印鑑は神の噐・神の道具である“道の具”を具現した“完璧”の「寶」です。

 この獅子の焼き物が、いかなる条件を満たし完璧なのか?
 完璧とは果たして有り得るのか?
 この焼き物である獅子の印鑑に、どの様な完全無欠という“完璧”の秘密が隠されてあるのか?
 『大漢和辞典』に載る▲「完璧」の古事は、神とか完全無欠を示してはいない。      
 『現代哲学辞典』にも、▲「完全性」は載っているが「完璧」の言葉は載ってはいない。
 同辞典によると、アリスト・テレスは「完全性」の究極は“神”であると言う。

 そして宗教では神が絶対者、原子論では原子が絶対者であるという。
 この「寶」には、道教の神「太上老君」と、印文「勅」に秘められた天の子・天子・世界の“絶対”支配者が印されてある。      
 しかも、この焼き物は、再現不可能な奇跡の陶磁器である。・
 太極は、既に説明した通り、宇宙創世時の極限状態、ビックバンです。
 この神噐・太極「寶」は“完璧”を創造したものである。
 まさに約1300年前、唐の時代に、この現代哲学概念と全く違わぬ、「完全性」を、しかも陶印と言う皇帝の印章、道を説く道教の法印“道の具”で具現していたのである。
 まさに驚異としか、表現出来ない。

 さてこの神噐・太極「寶」が神である事を証明する術・道は私には無い。 「寶」本、およびこのホームページを推し進めて行く時、この「寶」が神そのものであり、「神」である事を証明す事は、不可能である。

 しかし、私はこの「寶」が、全てにおいて完全性を具備し、無限大と極限を合せ有する“完璧”の印であるとの証明は可能ではないか”と考えるに至った。
 それには、当然“完璧の定義”が必要であります。
 その「完璧の条件」を、この神噐「寶」が具備、印籠しているなら、時代を別としても、この陶磁器が、歴代いずれかの中華の皇帝の神噐であり、史上始めて創造された、太極の神噐である事が証明されます。

  神噐・太極「寶」完璧の条件・

   @・全てにおいて「太」“無限大”であること。 
   A・極限の「極」であること。 
   B・天子皇帝および・道教教理、全てに整合・合理し、 
道の真理に照らし自然であって矛盾がないこと。 

 ※いずれ触れるが、この定義@は、無限を現す「九」・Aは絶対の「一」  Bは皇帝を現す「五」、「易」の重要数位を示します。

 なお、私はこの神噐・太極「寶」解明の初期の段階で、この陶磁器が中国5000年の至宝であり、神を具現した神噐である事を、ハッキリと全身全霊で知覚した。
 私は、斎戒沐浴し、遺書を認め、この神噐「寶」解明を神仏に祈った。
 これは、中国の並の国宝解明では無い事を、直感したのである。
 まさに人類文化に捧げる、世紀の大事業と自覚したのである。
 バブルの破綻を確信し、仕事を整理縮小、方向転換し、全てを「寶」解明に注ぐべき体制を取ったのである。           
 そして「寶」を、家族は勿論、親しき友一切に語らず、私自身も知り得ない方法を取って、さる人の手を経て、見知らぬ第三者に、厳重な封印をして託くした。
 天隠である・・。
 平成12年2月「寶」の知らせは中国大使館を経て中国本国に渡ったことは既にお伝えした通りです。      
 私は、この「寶」解明・立証を“完璧”に成し遂げる事を、祖先の御霊に誓ったのである。
 それは、完璧の印文を創造した、謎の大宗師と完璧を具現した名も無き陶工達、そして幻の篆刻師に、完璧に報いる為です。

平成12年4月17日